2015年7月25日土曜日

1959年7月25日、広島を訪れたチェ・ゲバラ

7月25日にこのような投稿がFacebookで広くシェアされていたので、バックデートでシェアします。

キューバ(12)『チェ・ゲバラ広島に立つ』②7月25日56年前の1959年7月25日チェ・ゲバラが広島原爆慰霊碑に献花した日である池田勇人通産相(当時)と会見した後千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ訪問と献花の予定であったが・・・...
Posted by 小西 理 on 2015年7月24日
Facebookサイトが開けない人のために、小西さんの投稿コメントをコピーします。

引用:

キューバ(12)

『チェ・ゲバラ広島に立つ』②
7月25日
56年前の
1959年7月25日
チェ・ゲバラが
広島原爆慰霊碑に献花した日である

池田勇人通産相(当時)と会見した後
千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ
訪問と献花の予定であったが
・・・
ゲバラは
「私は行かない
数百万のアジア人を殺した帝国主義の軍隊じゃないか。
私は絶対に行かない。
行き たいのは広島だ。
広島はアメリカが10万人の一般市民を殺した場所だ」と言い
日本政府を慌てさせる

しかし日本政府は
アメリカを恐れて
広島の正式訪問を認めない

しかし
ゲバラは広島行きを決行したのである

ゲバラの広島行きについて
①外務省記録
②随行した日本の新聞記者の記録
③同行した副官のフェルナンデスの日記
それぞれ少し違っているが
副官フェルナンデスの日記に従い
書くことにする

7月23日愛知県 トヨタ工場見学
7月24日大阪での歓迎パーティー出席

パーティー終了後
ゲバラは大阪と広島が
それほど遠くない事を知り

僕らには48時間しかない
日本政府には言わずに広島ににいこう
と言い出す

使節団の半分を大阪に残し
ゲバラたち3人は極秘に
自分達で乗車券を買い
夜行列車で広島行きを強行する

広島に着いたゲバラは
1500円の献花用の花を買う
今で言えば2万ぐらいだろうか?
フェルナンデスは倹約家のゲバラの
高額な出費に驚いている

ゲバラは
「原爆資料館で見たものは
ただ恐ろしいものばかりだった」
大きな衝撃を受け
「今日からは広島と広島の人を愛していこう」
という言葉を残す。
そして「アメリカが犯した罪、
引き起こした惨劇を
世界の人が見るべきだ」というメッセージを
カストロをはじめ
キューバ国民に発する
そして
日本に対して
『君たち日本人はアメリカに
これほど残虐な目にあわされて
腹がたたないのか』と問いかけた 

私は
アメリカはあの時から
何も変わってないと思う・・・

1959年7月25日に
チェ・ゲバラが妻に送った手紙

愛する君へ
今日は原爆が投下された
広島から、この手紙を送ります。
慰霊台には7万8千名もの死者の名が刻まれ
被害者は全体で18万名に上ると推定されます。
この地を訪れることは
平和のための戦いにおいて糧となります。
愛を込めて
チェ

PS
アメリカは戦後
原子爆弾を投下したことについて
謝罪していない
また日本政府が謝罪を
要求したこともない。

アメリカは
「原爆投下は
戦争を早く終わらせる為に
必要であった」と言うが

それは言い訳にすぎない

アメリカ陸軍省諜報部による
1946年の最高機密調査では
「日本の降伏に原爆はほとんど関係がなかった」と
結論が出されている

原爆投下は
ソ連に対して
アメリカが強力な科学兵器(原子爆弾)を
保有している・・・
デモンストレーションだったのである

また原爆が武器として
どれ程の威力が有るのか?

広島と長崎で
実験したのに過ぎない

もし日本に
本当の右翼が在るならば
アメリカに対して
キッチリ謝罪を求めるのが
スジである。
・・・
そに点においては
私は右翼である。

≪原爆投下について≫
F・ルーズベルト(10)で
キッチリ書く予定です。

尚、下の動画はYouTube で見られます
が拡散出来ないようになってます。
私が一度ダウンロードして
貼り付けた動画です
ゆえにアドレスは有りません

シェアお願いします。↓

引用ここまで。
YouTubeの動画もシェアできるようになっていましたが、字幕などが更に不鮮明だったので、小西さんのFB投稿のほうを使わせて頂きました。

私たちは自分の国で70年前に起こったことについて、キューバの子どもたちほどにも理解していないのかもしれません。ここ数年で表に出てきたテレビのドキュメンタリーで漸く知るに至ったことも多いですから。


モーターサイクル・ダイアリーズ
エルネスト・チェ ゲバラ (著)

2015年7月21日火曜日

「遺伝子組み換え種子による食料支配」by岡本よりたかさん(FB 2015.7.21) - ハイチの人々の叡智

岡本よりたかさんの非常に重要なFB投稿、シェアです。きょうからでも、一人でも多くの人が、プランタでも、少しでも自分が食べるものを栽培し始めるといいですね。

そのままいいねClickやFBシェアができるFacebookポストを埋め込みますが、下に本文コピーも入れます。

「遺伝子組み換え種子による食料支配」(長文)2010年のことである。ハイチ共和国で、475トンもの種に、火が放たれた。ハイチ共和国といえば、北アメリカと南アメリカの中間に位置する、キューバの隣国の小さな島にあり、ドミニカ共和国に隣接...
Posted by 岡本 よりたか on 2015年7月20日


FBアクセスできない方へ、ここから本文コピー




「遺伝子組み換え種子による食料支配」(長文)

2010年のことである。ハイチ共和国で、475トンもの種に、火が放たれた。

ハイチ共和国といえば、北アメリカと南アメリカの中間に位置する、キューバの隣国の小さな島にあり、ドミニカ共和国に隣接する。小さいと言っても、九州全体の面積の3/4、人口も同じく3/4程度の共和国である。

この島でマグニチュード7.0の大地震が起こり、20万人以上の死者と30万人以上の負傷者を出した。都市の被害は甚大であり、国全体が食料難に陥った。

人道支援として、この国に多くの食料が送られたが、その中に、モンサント社の遺伝子組み換えトウモロコシや野菜の種が相当な量、存在した。この国の人たちは、メキシコやブラジル、アルゼンチン、あるいはインド、そしてもちろんアフリカで起きているモンサント社による食料支配の構図についての知識があった。モンサント社が途上国に行ってきた悪行の情報が、日本よりも遥かに行き渡っていたのである。

それは、ハイチ革命以来、連綿と受け継がれてきた奴隷解放への強い抵抗の記憶のおかげであろう。だからこそ、彼らはこのモンサント社から送られてきた遺伝子組み換えトウモロコシや野菜の種子475トンに火を放ったのである

遺伝子組み換え種子には特許がある。この種は決して保存してはいけない。そう決められている。その種を保存した者は、特許侵害として告訴され、破産するか、もしくはいかなる抵抗も無視される一方的な契約の中、遺伝子組み換え種子と農薬を強制的に買わされる運命にあるのだ。

その契約により、以後、遺伝子組み換えではない作物を栽培することが難しくなる。何故なら、一度栽培してしまった遺伝子組み換え作物は、その土地に延々と残り続ける可能性があるからである。

何故、遺伝子組み換え種子に特許が与えられたか?通常の交配種の種は、自然界でも起こりうる可能性のある交配しか行われない。しかし遺伝子組み換え種子は絶対に自然界では起こりえない遺伝子が組み込まれる。それは、バクテリアや昆虫などの遺伝子を植物に組み込む事からである。これが特許の理由となる。

これにより、植物は元の植物と形は同じであっても、そのタンパク質構造はまるっきり違うものになる。どのような毒性を持つかは分からない状態であり、かつ、現在の遺伝子組み換え種子に組み込まれた遺伝子は、「殺虫成分」を作り出し、かつたっぷりと除草剤が散布されて成長する。

しかし、一番の問題は、やはり種子の特許である。自然界からの恵である食料。その食料の種を、一企業が握ってしまうのである。その企業から種を買わない限りは、食糧生産ができなくなるということだ。これを食料支配と言わずになんと言うのだろうか。つまり奴隷化である。

ハイチ共和国の人たちはそれに気づいた。気づいたからこそ、食料難であるという切羽詰った状況の中で、遺伝子組み換え種子に火を放つという選択肢を選んだのである。なんと懸命なことか。そのくらい遺伝子組み換え種子は世界中に問題を撒き散らしているのだ。

さて、日本はどうだろうか。日本では遺伝子組み換え種子という物の存在すら知らない者が多い。日本で生産されるお米の3倍以上の遺伝子組み換え作物が輸入され、日常的に食べていても、誰も気づかない。

TPP以降は、食卓にのぼる生野菜も温野菜も、ほとんどがバイオテクノロジー企業が販売する種子に置き換わるだろう。その中に遺伝子組み換え野菜があったところで気づかないかもしれない。表示義務が撤廃されるからだ。今の食肉が遺伝子組み換え由来の飼料で作り上がっていることすら知らないのと同じように。

今こそ、自らの食べ物を自ら栽培するという選択肢を検討するべきである。最大の防御は一番信頼できる自分自身に、食糧生産を委ねることである。一部だけでもいいから、今日から始めて欲しい。

※遺伝子組み換え関連講演予定
1)広島講演:7/26単発でお申し込みください。下部に申し込みフォームリンクあり
http://ameblo.jp/natural-essence1996/entry-12046610323.html

2)内海聡氏&岡本よりたか氏 合同講演会 in 越谷
本当にこれでいい? 今の日本 これからの日本
~大切な家族を守るために知っておきたい~
『これからの医食住
http://www.kokuchpro.com/event/koshigaya/

※写真 映画『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』より、ハイチの農民たち
http://www.uplink.co.jp/gmo/



「新説異説」岡本よりたか 農業と食糧支配

2015年7月20日月曜日

#梅田ヨドバシ 前、7月15日の反安保法制デモ、SEALDs KANSAI 寺田ともかさんのスピーチ(IWJより)

デモや集会を封じようとするかのような台風接近中の先週水曜日、そして安倍自民が #戦争法案 とも呼ばれる安保法案を強行可決したその日、全国で巻き起こる反安倍デモ、反安保体制デモと並行して、大阪駅北側の梅田ヨドバシ前も参加者らのスピーチが行われました。



IWJの岩上さんが昨夜、ツイッターで流していてたまたま視聴したのですが、この、21歳の寺田ともかさんのスピーチ、これまで聴いた中で一番感動したので、IWJの動画・書き起こしサイトからコピペ掲載させて頂きます。自分のブログでの記録のためと、マスコミが無視する重要イベントの拡散協力の一貫として。

引用ここから:
【スピーチ全文掲載】SEALDsKANSAIともかさん「安倍総理。民主主義が生きている限り、私たちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利がある。私たちは来年、戦後71年目を無事に迎えるでしょう」
 「わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません」 
 こう訴えたのは、寺田ともかさん(21)だ。衆院特別委員会で安全保障関連法案、いわゆる「戦争法案」が強行採決された2015年7月15日、若者ら有志の「SEALDs KANSAI」が大阪・梅田駅のヨドバシカメラ前で緊急街宣アピールを行った。この日、寺田さんがサウンドカー上で行ったスピーチは多くの反響を呼び、今もネット上で拡散し続けている。 
 「安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたは、もはやこの国の総理大臣ではありません」 
 寺田さんは安倍総理に退陣を迫り、「民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります」と主張。「あなたはこの夏で辞めることになる。わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう」と宣言した。 
 以下、スピーチの動画と、全文書き起こしを掲載する。
(原佑介) 
【寺田ともかさんのスピーチ動画(約8分30秒)】


日時 2015年7月15日(水)
場所 梅田ヨドバシカメラ前
主催 SEALDs KANSAI
■以下、ともかさんスピーチ全文書き起こし 
「こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。 
 国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。 
 だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。 
 大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。 
 先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。
 この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。 
 この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。 
 なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。 
 この法案を支持する人たち、あなたたちの言うとおり、テロの恐怖が高まっているのは本当です。テロリストたちは、子供は教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。 
 しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。 
 わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。 
 日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。 
 わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。
 安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。 
 民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。 
 安倍首相、今日あなたは、偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれど、そんな束の間の喜びは、この夜、国民の声によって吹き飛ばされることになります。 
 今日テレビのニュースで、東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったと見ました。足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが、暑い中わざわざ外に出て、震える声で拳を突き上げて、戦争反対を叫んでいる姿を見ました。 
 この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。 
 そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。 
 武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。 
 そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。 
 2015年7月15日、わたしは戦争法案の閣議決定に反対します。今日の採決に反対します。ありがとうございました。

引用ここまで。 


国の「経済成長のため」に武器輸出を拡大させるべきという経団連の発言を堂々と肯定的に経済紙・誌が報道するご時世ですが、他国の人間であれば爆撃して焼き殺されるところを明確に想像せずに済ませようとする事なかれ主義が背景に存在します。

戦争で潤うのは一部の利権だけ。そのときは雇用促進などあっても、巡り巡って自国を破壊するに至ります。

SNSをやっていれば嫌でも理不尽な戦闘や爆撃で地獄をみる人たちの画像・映像にしょっちゅう遭遇します。ドラマでちょろっと第二次世界大戦時の国内の空襲の酷さを映すようなあんなもんではない。

本当の安全保障というのは、ともかさんが言うように、その真逆を行くものだと思います。