2013年10月27日日曜日

ビタミンCの発見者セント=ジェルジ博士が生きていたら

ビタミンCの発見者として1937年にノーベル生理学・医学賞を受賞したアルバート・セント=ジェルジ博士。2011年の9月16日に、Google Doodleが生誕118年を記念して、フルーツのロゴを表示していたのをご存知ですか?

クリックでGoogle Doodlesのページに飛びます。



ビタミンCを発見してくれたお礼が英語で簡単に添えてあるだけで、あとはロゴの説明ですが、グローバル表示だったので、パーソナライズしていない検索画面を使っていれば、見たかもしれません。

単なる偶然だと思いますが、科学者として広島・長崎の原爆投下を非常に憂慮していたセント=ジェルジ博士、亡くなったのはチェルノブイリ原発事故の約半年後の1986年10月22日、そして、Google Doodlesが博士の生誕をとりあげたのが、福島原発事故の約半年後の2011年9月16日。

自分が発見した「ビタミンC」が「放射能」の被曝に対して、どれほど役に立つか、博士は知らないまま逝かれたと思います。現代科学の歴史を眺めると一見まったく無関係に見える2つのテーマですが、利権の裏側では切り離して考えることはできません。

核兵器を含む軍需産業と、医薬医療業界とは同じ利権グループで繋がっていることが多いことは、3.11以降は次第に明らかになってきました。

ガンで稼ぐ医薬メーカーがビタミンCの効能や、薬に頼らず食品や栄養素で健康維持することを黙殺したり、副作用デマを流して攻撃することは理解できますが、ビタミンCの点滴療法で、被曝した原発作業員のDNAが正常値に戻ったという朗報を、政府や東電だけでなく、マスコミも日本医師会も黙殺しました(点滴療法研究会からのレターを徹底無視)。つまり、被曝に苦しむ国民に治って欲しくない理由があるということですね。福島へ行く自衛隊員がビタミンCを飲んでいる事実も、点滴療法を行う医師が認めているのに、マスコミ報道されないように統制されています。

なぜ今、セント=ジェルジ博士のことをとりあげたかったかというと、たまたま絶版になっている博士の著書、1970年の「狂ったサル」を読んでいると、私たちが3.11以降、ツイッターやFacebookで叫んでいることが、そのまま出てくるので、まるで目の前に博士がいるような気さえするからです。もし生きていたら、ベトナム戦争に反対した若者たちの支えになったり、ジョンソン大統領の再選を断念させたほどの力をもたらしてくれたかもしれません。

博士はビタミンCの発見者というだけでなく、ヒットラーを堂々と批判して秘密警察に命を狙われる中、地下に潜ったり、スターリンにも直言して不興をこうむったり、おまけにアメリカへの亡命の際にも、親ソ派とみられて、しばらく入国拒否されるなど、波乱万丈の人生を送ってきました。

第一次世界大戦のときに祖国ハンガリーで徴兵されたときには、なんの恨みもない敵兵を殺戮する愚かしさに耐えきれずに、自分の腕を撃って処罰されたり、傷が治ったあとに、イタリア兵捕虜に危険な生体実験を行えという命令を拒否。その罰として、マラリアのはびこる土地に送られたりしています。また、ベトナム反戦では、兵役を拒否して投獄されたり亡命したりする若者を徹底して応援しました。まだアメリカ全土でに戦争賛成派が闊歩していた頃からです。

ライナス・ポーリング博士も自分の身を省みず、平和のために政府も米国の科学界も敵に回して闘った人でしたが、それ以上に波乱万丈で、政治に巻き込まれることを厭わなかったのが、セント=ジェルジ博士

国家が軍産複合体に支配されているかぎり、どうも平和主義を貫いた有名人というのは、できるだけ報道しないようになっているみたいです。平時にはバラエティやドキュメンタリー番組では扱うこともあるので、NHKがかつてはこんな良心的な番組をやっていたのかと驚くこともしばしばですが。

点滴療法研究会の動画を通してライナス・ポーリング博士に「出会った」とき、なぜこの人がアインシュタインほど有名でないんだろうと思いました。ビタミンCの効能を世に知らしめようとしただけでなく、科学界の巨星として、ノーベル化学賞を受賞したほどの人。単独でノーベル賞を2度受賞した世界でただ一人の人。
  ただし、地上核実験に対する反対運動の業績によりノーベル平和賞を受賞した人でもあり、また、ビタミンCの医療での効果を世間に知らしめようとしたので、軍需産業や医薬業界には非常に厄介な存在でもありました。反核運動での影響力が強かったこともあり、終身雇用のはずであったスタンフォード大学から実験室をとりあげるような嫌がらせを受け、その後去っています。ビタミンCの研究に関わる部分では、伝記の作者が妙に矛盾する人格を描写して、2種類の異なるストーリーが流布しています。

アインシュタイン博士は、自分の理論が原爆に使われたことを後悔して平和運動を立ち上げましたが(ポーリング博士も参加しています)、核兵器開発には貢献した人だからなのか、マスコミはとりあげることを躊躇しません。が、当時、生化学を学習した学生や研究者らにとっては、ポーリングも同じくらいスターであり、日本へも一般人対象の講演に何度か招聘されています。

ビタミンCを知らない人はいませんが、ビタミンCを発見したのがアルバート・セント=ジェルジ博士であるということは、なぜこれほどまで知られていないのでしょうか。また、解剖学をかじったことのある医療従事者やスポーツ・インストラクタならお馴染みのアクチン、ミオシンによる筋の収縮メカニズムを解明したのもセント=ジェルジ博士。

知られていないのはたまたまだ、と思われるかもしれませんが、NHKが1969年に来日講演を全国放送しています。博士の半生をヒットラーと対峙した科学者としてハリウッド張りにとりあげるだけでも視聴率を稼げるのに、その後のマスコミに全くスルーされています。

当然といえば当然ですが、我々が学校の図書館やマスコミで知る偉人というのは、その時の政府や行政機関、そしてそれを操る既得権益業界にとって邪魔にならない人たちなわけです。

たとえば、トマス・エジソンは電話機や蓄音機、電球などを発明した功績で、今でも感謝と尊敬を集めていますが、死刑用の電気椅子の売り込みにも熱心であったことはあまり語られません。エジソンの名が忘れられることがないのは、何度もテレビ番組が作られ、流されていたからかもしれません。(原発事故の後で身にしみることですが、電気の便利さを宣伝し続けることは、業界にとって非常に重要なことでもあります。)

さて…、前置きが長くなってしまいましたが、絶版となっているらしく、中古本しかない「狂ったサル」の日本語版(国弘正雄訳)、を少し書き起こしてみます。これは、今読んでも全然古くない、いわば不朽の名著だと思います。使い古された反戦のことばが並んでいると想像されるかもしれませんが、どこをいきなり開いて読んでも科学者らしい視点が感じられ、また、セント=ジェルジ博士の人柄に触れることがすごく新鮮で、できるなら丸ごと引用したい本です。

なお、国弘正雄氏の訳者まえがきも読む価値が高いと思えるので興味のある方は⇒こちらです。

「狂ったサル - 人類は自滅の危機に立っている」(The Crazy Ape, 1970)
(アマゾンのページが別タブで開きます)


はじめに
いまや人類が、誕生以来もっとも重大かつ深刻な時期に遭遇していることは、なんの疑いもありません。あまり遠くない将来に、人類の絶滅すら考えられるほど、重大な危機です。
この危機的状況の原因や解決策については、数多くの論文が書かれ、軍事、政治、技術、経済、歴史など、さまさまな分野からの分析がなされてきました。しかし、生物の種としての人間という原点は、どうやら忘却されているようです。一人の生理学者として、私がこのささやかな書物のなかでこころみたのは、この立場からのアプローチです。
人間というのは、ヘビにように、古い皮をぬぎ捨て、新しい皮を身にまといながら成長していきます。このプロセスは、どうやら人類史にみられる狂爛と静寂の繰り返しと期を一にしているようです。
ルネッサンス期の賢者エラスムスは、この二つの時期を区別しました。狂瀾の時期というのは、鋭角的な過渡的現象の存在する時代で、移り変わりが鋭ければ、それだけ狂瀾怒涛も激しいわけです。
そこでわれわれは、二つの問いに答えねばなりません。一つは、今日の鋭角的な変転の原因がなんであり、いま一つは、どうしたら人間が新しい皮に身をおくことができるか、という問いです。しかしそれにもまして究極的な問いは、理性をもっているはずの人間に似つかわしくもなく、狂ったサルのような行動におちいりがちな人類が、はたして現代の欺瞞を超えて生きのびることができるであろうか、という点です。
 [p5]
1.この愚かしい時代
人類は度しがたい愚か者のような行動をしています。なぜなのでしょうか。私がとりあげたいのも、実はこの点です。
人間の歴史において、寒さや飢えや病気の心配なしに、真に生活を楽しむことができるようになったのは、今日をおいてほかにはありません。基本的な必要をみたすことができるようになったのも、今日がはじめてです。ところが逆に、ただの一発で人類を破壊させ、この美しい地球を汚染や人口過多で人間の住むに適しない場所に変える能力をも、はじめて手に入れました。しかも地球は、悲劇的なまでにますます小さなものへとなりつつあるのです。
この二つの選択のどちらを選ぶかについては、なんの知恵もいりません。どんな愚か者にも賢明な選択は可能です。喜びをとるか、苦痛をとるかのどちらかだからです。にもかかわらず、どうやら人類は後者の途を選び、「ゴキブリ天国」をもたらそうと懸命になっているようです。ゴキブリというのは、高エネルギー放射能にきわめて鈍感です。したがって、人間の生命を支えるための資源がすっかり底をついてしまったのちでも、十分な食物をさがして生きていくことができます。
世界でもっとも裕福な国においても、飢えている人は5パーセントにも上ります。他の地域では、それが50パーセントにも達するのです。子どもは健全な身体をつくるだけの食物がないままに空腹をかかえて寝床に入ります。
このような状況が続いているというのに、他方では、アメリカ一国だけでも、実に1兆ドルもの巨額のお金を第二次大戦以降、いわゆる、「防衛」のためだけに使ってきました。大量殺人の道具のためにです。むろん、ソ連もひけをとってはいません。
このような金額はあまりに膨大すぎて、よほどの想像力のたくましい人でもピンとはきません。これだけのお金があれば、人類の存在のレベルをとうに引き上げることができたはずです。これはまさに犯罪的というべき行為ですが、それだけではありません。実にそれは愚かしさの限りです。
これだけのお金とひきかえに、われわれが手に入れたものといったら、不安定、いらだち、それに自己破滅への手形ぐらいです。しかも、われわれの運命を、とても信用するわけにはいかないような連中の手中に、委ねてしまったのです。
人間が、これほどまでに愚かしい存在であるとしたら、どうしてはじめの何百万年か生きつづけることができたのでしょうか。おそらく、二つの理由が考えられるでしょう。
一つは、人間はそれほどまで無思慮ではない、しかし状況がすっかり変わってしまったのに、環境への適応が不可能になり、その結果、人間の行動も愚かしいものになってしまった、という説明です。
いま一つは、人間の実態は、自己破壊的という点では、いまも昔も変わらない、ただいままでは、自己破壊を可能にするだけの技術的手段を欠いていたのだ、という考えかたです。事実、歴史を通じて、人間はたくさんの無意味な殺戮や破壊を事としてきました。自己破滅にまで至らなかったのは、殺人用の道具が粗放かつ非能率だったおかげです。暴力が吹き荒れたとき、多くの人が生き残ることができたのも、これが理由でした。ところが現代科学は状況を一変しました。今日、われわれは一蓮托生なのです。
この二つの解釈のいずれが正しいにせよ、もし多少なりとも存続の希望をもとうと思うなら、このような「みぞ」にはまりこんでしまっている理由を見いだし、そこから抜け出す可能性があるかどうかを検討することこそ、まさに焦眉に急といえます。
[p8]
2.宇宙時代の人間と自然
自然は巨大で人間は矮小です。人間の生活は、質量の両面において、人間と自然との関係に大きく依存してきましsた。どこまで自然の性格を理解し、その力を自分たちの利益のために使うことができるか、という点にです。
生物の種が生き残っていけるかどうかは、まわりの環境に適応していけるかどうかによって決まります。人間とても他の生物の種と同じことで、生まれおちた環境に適応していかねばなりません。
十万年も昔のことであれば、世界も単純なら、問題も単純でした。毎日をどうして生きぬくか、ということだけが主な問題だったのです。食物やねぐらを見つけ、性交渉の相手をさがすなど、ごくごく単純な必要をみたすだけで十分だったのです。そして人間は、彼らを取り巻く世界の基本的な要素、たとえばクマとかオオカミ、岩石と樹木とを区別するための感覚を発達させました。そして、物をつくり使うことを身につけるにつれて、彼の生活はよくなっていきました。針、車輪、矢、火、金属、粘土が固まることなど、次々に発見されるたびに、原始時代から一歩一歩向上していったのです。
これらの発見は、いずれも人間の日常体験にもどづいていました。やがて古代エジプトやギリシャ・ローマ時代の到来とともに、人間の知性はめざましい高まりをみせ、自然を理解するためのこころみが、あちこちで始められました。これらの努力を、「古代科学」と総称することにしましょう。
この時代の科学の特徴は、人間の頭脳に対する信頼でした。知性こそが最高のものであり、これによってとけない問題はない、と考えられていたのです。その例が、アリストテレスと二つの石の逸話です。その後、数世紀にもわたり、アリストテレスこそは最終的な権威とみなされたのですが、彼によれば、重い石の方が軽い石よりも早く地上に落ちることになっていました。
この説に関していかにも目だつのは、それが誤りであったということではありません。アリストテレスがついぞ実験してみようとは思わなかった、という点です。かりに、そうなさったらなどと、だれかが口を出したとすれば、おそらくは侮辱と受けとったでしょう。人間の頭脳がすべての解答を出してくれるのに、なぜ目の粗い行動に訴えなければならないのか、というわけです。
人間の思考の自由には、限界が設けられています。われわれは、時代精神の名で呼ばれる狭いおりのなかに住んでおり、行動の自由は大きく限られています。時代によって人びとの考えが変わるのはおりが広くなったからではなく、ただ位置が移動しただけのことです。アリストテレスが二つの石を実際に落としてみて、どちらが早く地上に達するかをためそうとはしなかったのは、時代精神のしからしめるところでした。
16世紀という時代は、人間の頭脳に大きな変化がおきた時代のようです。現に、ある一人の鼻っぱしの強い若者が、二つの大きさのちがう石をふところに、ピサの斜塔にのぼり、同時にそれを落としてみて、どちらがさきに歩道に達するかを仲間に観察してもらった、ということがありました。
ガリレオ・ガリレイがこの人ですが、彼は自分の頭脳の完全性を信じなかったばかりか、五感の完璧さをも信じませんでした。望遠鏡を組み立てることによって、五感の不足を補おうとしたのです。その助けをかりて彼は、木星をとりまく衛星を発見、初めて紹介したばかりか、宇宙が人間の喜びや誘惑のためにつくられたはずがない、という点を証明しました。この人間の頭脳の再生が、世に「ルネッサンス」の名で呼ばれるものです。
ガリレオを筆頭に、ケプラー、ムーペンフークなど、数多くの先見の明のある夢想家がそのあとにつづき、測定、観察、計算を通じて古典科学をつくりあげ、ニュートン、ダーウィン、パスツールにいたってそれは絶頂に達します。
古典科学が取り扱った世界は、われわれが生まれ、適応をこころがけ、生活の場としている世界でした。つまり、われわれが知覚しているかぎりの世界でした。したがって古典科学は質的に新しい要素は一つとしてわれわれの生活に導入しなかったのです。
しかし、人間をとりまく世界の内的相互関係は明らかにしてくれました。そして人間の思考に莫大な影響を与え、神様の思いつきにかえるに、法則と一貫性とをもってし、初めて人間に、自分の本質と位置について一つの考える糸口を提供したのです。
古代科学が人間の生活を変えなかったのとはうらはらに、古典科学は数百年間の潜伏期を経て19世紀にいたり、産業革命への途を開きました。産業革命は人間生活の質的な向上に大きく寄与しました。しかし、質的に新しい要素をなんら導入してはくれなかったのです。
針は何千年もむかしから知られていました。ミシンは、縫うという作業のスピードを速くしたにとどまりました。同様に、当初は「鉄馬」と呼ばれた鉄道は、生身の馬を追いぬくことができましたし、旅行をそれだけ快適にしてくれました。また、たしかに死亡率は低下し、食糧や品物の生産は増大し、工業労働者という新しい社会階級が誕生しました。にもかかわらず、世界の構造は全体として昔のとおりだったのです。
今世紀の初頭にはいり、四つの重要な発見がなされ、人間の歴史に新しい第一歩を録しました。エックス線(1895年)、電子(1895年)、放射能(1896年)、量子(1900年)がこれで、ほどなく相対性理論(1905年)の発見があいつぎました。
これらは、われわれの五感では明らかにされえません。つまりこれらの発見は、人間をとりまく世界にはそれまで予想だにしなかった、また五感をもってしては、どんな知恵も入手できないような場があることを、明らかにしました。
なんの知識も与えてくれないばかりか、なんの知識も与えないことが存在の目的である、とすら言えます。さもないと、無用なばかりかわれわれの死を意味することになります。かりに、われわれがトラックのかわりに、トラックを構成している原子や量子が見えたとしましょう。はねられて死ぬのがおちです。またわれわれの祖先が、クマのかわりに電子を見ることができたとすれば、食べられてしまったにちがいありません。
人間の歴史は現代科学の登場の前後で二つに分かたれます。最初の時期においては、人間は生物の同じ種として仲間が生まれ、自分自身とその五感とを適応させる対象としての世界に住んでいました。ところが、第二の時期においては、人間は未知の宇宙的な世界に、一人ぽつねんと足を踏み入れたのです。これほど急激な過渡的な状態を経験したのは、まさに未曾有のことでした。
私はそれほど年老いてはいませんが、それでも科学者であった私の叔父が、パリのフランス学士院で論文が読まれ、空気より重い物体が空を飛ぶことは絶対にできない旨の証明がなされた、ということを聞かせてくれたのを覚えています。空を飛ぶという話が出てはじめて、みなが気がかりになっていたこととて、この論文で安堵の胸をなでおろした人は数多くありました。
また私の父の農場に、はじめて自動車がやってきたときのことを思い出します。馬がかくれているにちがいないから、車のボンネットをあけて、インチキをばらせといってきかなかったのは、農場の小作人たちでした。
50年足らずの潜伏期を経て、現代科学は人間の生活を変貌させ、人間が夢想もしなかったような新しい要素をそのなかにもちこみはじめました。人間が意のままに駆使できる力は、もはや地上のそれ、人間の次元のそれではなく、宇宙を形づくっている力そのものでした。
地上のせいぜい華氏数百度の火力は、太陽に熱を与えている核反応の何千万度という超高熱にとってかわられました。人間生活で用いられていた「馬力」という概念は、光や音のスピードにとってかわられました。またそれまでの比較的低能率の武器の力は、原子の手にとってかわられました。港を掘り、山を動かすことができるだけではなく、全社会を瞬間に破壊しつくすことのできる原子の力にです。
ジョン・ブラットの計算によれば(「サイエンス」誌166ページ、通算1115ページ、1969年)、今世紀にいたり、われわれのコミュニケイションの速度は10の7乗、旅行の速度は10の2乗、データ処理の速度は10の6乗、エネルギー資源は10の3乗、兵器の力は10の6乗、疾病を制御する力はおおむね10の2乗、人口増加率は、10の3乗の割合で増大したといわれます。
いずれも数千年前とくらべてのことですが、これとても、ほんの糸口にしかすぎません。しかも無限の可能性を二つの方向に向かってもっています。一つは想像もできなかったような豊かさと尊厳とのうちに人間生活をつくりあげているという方向、いま一つは、名状しがたい悲惨のうちにぷっつりと終止符を打つ、という方向です。
われわれは、いまや宇宙的な世界に住んでいるわけですが、元来、この世界は人間のためにつくられた世界ではありません。ですから人間の存続は、どの程度の速さと徹底振りでこの新しい世界に順応していけるかにかかっています。つまり彼の考えとすべて再構築し、社会的、経済的、政治的な構造をつくりなおすことにかかっているのです。適応の速さと、破壊のための力との競争だともいえるでしょう。しかしいまのところは、明らかに遅れをとっているのです。
しかもわれわれはこの事態に、洞窟に住んでいた原始人と同じ頭脳で対処しなければなりません。頭脳というのは形成以来、たいして変わっていないのです。
われわれの考えかたや機構や方法も古ぼけたものなら、政治指導者も古ぼけています。彼らは昔の前科学時代に根をおろし、これらの難問を解決するために必要なのは、まやかしと食言のみであり、核兵器のストックをふやすことだと考えているような手あいです。しかも核兵器の貯蔵量といったら、地球上のすべての人間を三度も殺戮するだけの量に達しているのです。
また彼らは、単一の弾頭を複数弾頭に変え、新しいミサイル、対ミサイル用ミサイル、さらには対ミサイル用ミサイル用ミサイルなど、しょせんは死の道具にすぎないものに無慮何百何千億ドルの巨費を投じることが、唯一の問題解決策だと信じています。われわれはすでに、遠隔の地にある都市をただの一撃で破滅させることができます。にもかかわらず、われわれはますます多くのミサイルを、あるいは地上に、あるいは海中に配備し、いますぐにでも撃ち出せる状態においています。数の多少が戦闘の帰趨を決めた、古きよき時代の弾薬でもあるかのようにです。
このことがおそろしいまでに馬鹿げているのは、これらの爆弾が使えないという点にあります。あまりにも破壊力が大きすぎるからです。そんなものを発射したら最後、人間は集団自殺するよりほかにしかたがありません。
世界最強の軍事大国が、開発途上の小国をもてあつかいかねているのが現状です。その小国は、これらの強力な爆弾など一つももちあわせてはいません。にもかかわらず、相手の貴重な資源を枯渇させています。[引用註:ベトナムのことと思われます。]
自分の居間でスリッパばきのくつろいだ姿で、人間の仲間の一人が月に降り立つのを目のあたりにし、しかも彼らの話し声まで耳にすることができるのが今日の世界です。そして新しい指導者や方法を求めます。われわれがなんらの「新しい」考えかたを発想し、「新しい」指導者を生み出し、「新しい」方法を開発していないという事実は、われわれの行動が何万年か昔の人間の行動と異なっていないということによっても明らかで、われわれを気おちさせるに十分です。
長い間、人間の主たる関心は死後の生でした。ところが、死の以前にはたして生があるのかどうかについて問わねばならぬ時代をわれわれはいまはじめて迎えたのです。
[p16 ]

[引用ここまで]

なお、日本語版の「狂ったサル」には、第二部に続編ともいえる「未来とは何か」(What Next?)、第三部に1969年10月16日のNHKテレビ放送より収録された「私の歩んだ道 ― 戦争と科学」などがついており、中古の価格では破格値といえます。コレクター商品では12,600円というプレミアム付きになっているのは十分理解できます。

追記: 第1章6節「軍隊の生物学」を先に書き起こし、一般公開しました。自分が日本を救えると信じているらしい石破茂の前で朗読してやりたい箇所のひとつです。

2 件のコメント:

  1. At the early phase of Fukushima nuclear accident in March, 2011,
    rescue team of national defense army took oral Vitamin C for the protection from radiation injury.
    「福島原発事故で緊急出動した自衛隊員は被ばく防御のためにビタミンCを飲んでいた」

    原発事故1年前に防衛医大と陸上自衛隊の研究者らは、
    急性被ばく障害を防御するためにビタミンCの前投与が有効であるという実験結果を論文で発表しました。

    9月27日、同じ研究グループが続編とも言うべき研究論文を出しました。
    マウスの腹部に13Gの放射線を照射すると全例が急性胃腸壊死で死亡します。
    照射3日前にビタミンC水溶液を250 mg/kgで3日間経口投与、照射8時間前に250 mg/kgを経口で1回投与、
    照射後にビタミンC水溶液を250 mg/kg で7日間投与の3種類の投与法を組み合わせて生存率を観察しました。
    個々の投与法単独の生存率は20%以下でしたが、
    3つのビタミンC投与を全部組み合わせると、生存率は100%でした。

    <>

    興味深いことは、自衛隊が福島原発事故時に緊急出動したとき、
    「トライアルとしてボランティアの自衛隊員にビタミンCを摂取させた」と記載していることです。

    私は論文の著者らが、自らの実験研究結果から、
    原発事故現場に向かう自衛隊員を守るためにビタミンCを摂取させたことに、同じ研究者として尊敬します。

    今なお、私たちが政府、東電、自治体、建設会社に作業員や住民にビタミンCの摂取ができるよう提案し続けても、
    いまだ無視されたままです。しかし、私たちはこの運動を末永く続けていきます。

    この論文は下記よりフリーにダウンロードができます
    http://www.mdpi.com/1422-0067/14/10/19618/pdf

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  2. コメントありがとうございます。ここへ戻ってきて頂けるかどうかわからないほど月日が過ぎてしまいましたが、点滴療法研究会の柳沢先生かご同僚の方でしょうか。

    貴重な情報をいただきながら、リンク先の論文を読むのが遅れ、失礼しました。この問題をクローズアップすべく、頂戴したコメントをそのままコピーして、新記事に挿入しました。
    「致死量10シーベルトの放射能を腹部に浴びてもビタミンCで回復する」(http://post-311.blogspot.jp/2015/04/10c.html)

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