2014年3月21日金曜日

格安データ通信SIM+スマホ用050IP電話でモバイルコスト激減(体験談①「データ通信SIMを買う」)

ブロードバンド常時接続のインターネットに月額3800円ぐらいしかかからないのに、スマートフォンは持っているだけで6000円近くかかってしまう時世。

でも、これ以上、日本のユーザだけ寡占市場大手キャリアのやりたい放題につきあう必要もなくなってきました。ということで、この記事はSIM変更初心者用のメモとしてアップしています。

一旦アタマが切り替わったら簡単に理解できることですが、これまで発想しなかったことがいくつも出てくるので、キャリアに全ておまかせだった人にはちょっと最初は面倒かもしれません。

携帯電話用SIMからデータ通信用の格安SIMに変える
AQUOS PHONE ZETA SH-06E
iPhoneを解約して、SIMフリーのアンドロイド搭載のスマートフォンと050IP電話に乗り換えて、月額のモバイルコストを半分以下にした例を、ついこの間の私と同じ程度の知識の人に体験談として書いてみます。(アメブロでも紹介したのですが、なんとかもうちょっと具体的に…。)

なお、SIMフリーにしたのは海外使用を考えてのことで、ドコモ用の白ロム(SIM抜き)や契約解除後のスマホであれば同じことができます。

簡単にいうと、
 ●iPhoneの中に入っていた、
       携帯電話番号を含む音声通話SIM(データ通信もできる)

  から

 ●携帯電話会社以外が売る
      データ通信SIM(音声通話アプリを搭載すると電話もできる)

  に変えて安くしたわけです。

これは多くの場合、特にドコモのスマホの場合、端末を新たに買わなくてもできます。

2月までの私のスマートフォンのための月額出費は、
 ①SoftbankのiPhone端末代金(46,080円)の24回割賦が1920円
 ②080の携帯電話機能を含めた通信の基本料金約3000円
 ①+②毎月全く使用しなくても最低約5000円以上
 
携帯電話での発信は年に数回だけだし、無料WiFiでの通信がほとんどなのに、6000円こえる月もめずらしくありません。ちなみに通話は30秒20円。ちょっとかけるとあっという間に数百円。

それが今後はこうなります(4月からの消費税8%として計算)、
 ②U-mbileのデータ通信SIMを挿して月額通信料896円(=(680+150)*1.08)
 ②050plusのスマホ用050IP電話基本料324円
 ②'つまり、本体抜き最低通信費用だけで、1,220円**1
  ①Aquos Phone本体(28,400円)が36ヶ月割賦と仮定し換算して789円**2
  ①+②'本体のコストを加算しても月コスト2,009円**2

**1LINEやViberを使いたいときには登録時にSMSがいるので、私は月150円(税抜き)でSMS対応のSIMを申し込みましたが、使わない人は不要です。 

**2Aquos Phone本体は国内外のSIMで4年以上使うつもりなので実質、月額592円以下だと思います。

050IP電話から発信したとして、通話料金は固定電話あて3分8円程度。携帯電話あて1分16円程度。同系列のIP電話どうしは無料。また留守番電話サービスへの通話は無料。
 
SIMカードの登録月は利用料無料の場合が多く050IP電話の基本料金も4月末まで、あるいは最初2~3ヶ月無料の場合が多いです。

今出ている格安のデータ通信SIMはほとんどドコモのネットワーク用なので、もしドコモで支払い終わったスマホがあるなら、本体代金は無料、あるいはバッテリー交換で必要になる費用、3~4000円程度と仮定できます。また、携帯電話会社との契約と違って2年縛りがないので、更新月を気にせず使い続けられます。 

ちなみにSoftbankで購入したiPhoneを、ドコモ系SIMや海外のSIMを使うためにSIMロック解除を外注すると、安い新品のスマホ本体を買えるぐらいかかります。

私も最初はiPhoneのSIMロック解除が新品スマホの半額以下なら当面それでいこうと思って、請け負っているところから見積もりを取り寄せたのですが、28000円ぐらいかかるという…orz、つまり今回購入した型落ち新品中古のAQUOS PHONEとほぼ同額でした。

なんとか自分で脱獄からやろうと検索したのですがアクセスできないサイトが多くて挫折しました。なお、AppleでSIMフリーのiPhone 5sを買うと7万円以上します。ドコモのiPhoneのSIMロック解除をドコモに依頼すれば3500円ぐらいでやってくれます。(元々、海外のSIMフリーiPhoneを取り寄せて自社用に売っているからですが。ただしドコモであっても端末単体では安く買えません。携帯電話の2年縛り契約で儲けてる会社ですからw)

なお、大手キャリアとのモバイル契約には2年縛りがあって、契約更新月(現在の契約をした月から25ヶ月め)の1ヶ月間以外は9975円の「違約金」を支払わないと解約できません。でも、もし、月に3300円以上コストを抑えられるなら、3ヶ月で元がとれるので、更新月を4ヶ月以上待つよりお得ですよね。


そもそもSIMカードって何?
シムカードとか、SIM(Subscriber Identity Module)とかって、そもそもナニ?ということを確認したい方は、以下のサイトをご参照ください。


要するに、SIMに入っている情報というのは、携帯電話なり、データ通信なり、ネットワークを使うための権利を買ったよ、という証拠としてモバイル端末に突っ込んでおく期限付き手形みたいなものです(笑)。お金を払っておく限りは、払った分だけの質と量がその期間の間、使えるようになっています。

SIMフリー(ロック解除)やSIMロックについては、この動画がわかりやすいと思います(^^)。



リンク先や動画で理解できたら、ここから下は読まなくて結構です。が、一応念押しとして、モバイル端末とSIMカードの関係をしつこくまとめておきます(笑)。その流れで、050IP電話など音声通話アプリのことも書いています。


★別売りで買ったSIMカードは見た目はこういうものです。名刺サイズのカードの中の親指の先程度のSIMカードを切り取れば、携帯電話やスマートフォンの中に入ってるのと見た目は同じです。(これは、今主流のマイクロSIMです。)
U-mobile データ通信SIMカード

契約時に目の前でSIMカードを挿入してくれる場合もあるので知る人も増えてきましたが、このSIMカード、携帯電話会社(キャリア)によってなぜか呼び方が異なります。
 ドコモは「FOMA、miniUIMカード」
 ソフトバンクは「U-SIMカード」
 auは「ICカード」
 イーモバイルは「EMchip」
 ウィルコムは「W-SIMカード」
これらはすべてSIMカードのことを指しています。

そして、これら携帯電話キャリア以外の会社(日本通信bモバイル、IIJ、U-mobile、イオン、ビックカメラ、DTI、他)が今、docomo FOMA Xiのネットワークに繋がる独自プランのデータ通信SIMカードを一般販売しているわけです。

格安SIM(データ通信用)と、携帯電話やスマホに付いてくるSIMを分類してまとめた図がこちら。
日経PC21の「スッキリわかる! 格安SIMの疑問」という記事に出ています。




最初の事務手数料にあたるパッケージ料金は大体3000円(+消費税)、月額使用料は1000円以下から。(詳しくはこちらσ 【月額1,000円以下は当たり前!】格安データ通信SIM主要8社の比較 NAVERまとめ


スマートフォン(スマホ)はコンピュータです。WiFi時代前のガラケーは携帯電話契約がなくなる(つまり、携帯電話会社の登録者としての情報が入ったSIMカードが無効になって、3G回線に接続できなくなる)と、カメラやミュージックプレイヤーや電卓としては使えるけどネット上で使えませんが、スマホは解約後もネットに繋がれば情報通信ができます。

たとえば、ドコモで買ったスマホの端末ごと新しいのに切り替えて、契約更新したとします。古いスマホからSIMを抜いているはずなので、そこにはOCNや、U-mobileやB-mobile、IIJmioなどで購入した格安のドコモSIMを入れて、”小型コンピュータ”として使うことができます。音声の通信を可能にするアプリを入れてしまえば、電話のように使うこともできます。

各社がいま堂々と格安SIMを基本料金の初月割引などを行って宣伝しているのは、050IP電話用アプリがある程度使える物になってきたので、高品質の一般スマートフォンから乗り換える人が出始めたのもあります。

どんなにメールやチャットでのコミュニケーションが一般化しても、まだ普通に音声で通話する電話だけに頼る人も多い中、連絡先として渡せる電話番号を持っておく、そして携帯しているスマホで着信できる、というのが格安SIM普及の鍵でした。

そのため、格安SIMを販売するサイトのほとんどで、携帯用050IP電話サービスの案内も表示しており、月額の基本料金を出しています。

そうしたIP電話サービスについて触れる前に、いったいそうした通話も含め、格安SIMの料金設定はどうなっているのか、とりあえずどのコースに申し込めばいいのかを見てみます。


SIMを登録するとき、月間の通信容量がどれくらいのコースを選ぶといいか

現在ちょうど、月間の最低限の通信容量を500MBから1GBに増やしているところが出てきており、この1GBというのが下限の標準となりそうです(一般のスマホ契約では上限7GBでほとんどのユーザは使いきれていません)。

IIJmioがプリペイドSIMカード用に説明している500MBで利用可能なデータ量の目安というのがわかりやすいと思います。



スマホで500MBの通信容量があるとできること。
●ウェブサイト(ヤフー!モバイル版、300kb)の表示なら約1,705回
●メール(300文字程度のテキストメール、5kB)なら約102,400回
●ツイッター(公式アプリ、全角140文字でツイート後リロード、91kB)なら約5,625回
●動画(YouTube 約5分閲覧 11MB)なら約45回
●地図(AndroidのGoogleマップアプリで地図を表示し、縮小してから拡大するという操作、3.5MB)なら約140回。
●IP電話(Skype使用で3分通話、1.7MB)なら約290回(870分)

これらの合計ではなく、どれか一つを集中的に行った場合の回数が書かれています。1ヶ月の間にWiFiに繋がっていない環境で(つまり通信SIMに依存してドコモのネットワークに繋がる必要がある環境で)使いそうなものはどれかを考えると500MBあれば足りるかどうかがわかってきます。

動画や多くのウェブサイトは、自宅やオフィス、あるいはメンバーになっている公衆無線LANエリアに到着するまで待てる場合が多いかもしれませんが、移動中に地図をチェックしたり、メールや電話で連絡をとったりすることは、ある程度避けられないかもしれません。

旅行で移動中などのときは、一時的に追加料金を支払ってでも、通信容量を増やしたいかもしれません。そんなとき、一定の通信容量を超えたら自動的にワンランク上に移行できるほうがいいか、前もってリクエストを出して、翌日や翌月からアップできるほうがいいかも選ぶことができます。

私は年末の数日、旅先で特にiPhoneでマップや乗り換え案内をチェックすることが多かった12月の請求書を見ても、300MBに達していなかったので、500MBでもやっていけると思う一方、移動しながら、あるいはWiFiのない店舗でアクセスできずにストレスが溜まっていたことを思い出し、最低1GBは欲しいと思いました。また、重要な用があるときは、追加料金が発生しても3GBぐらいはふつうのスピードでアクセスできたほうがいいと思ったので、U-mobileの二段階プラン、「ダブルフィックスプラン」に申し込みました。



調べた段階では、1GBプランでは一番安かったのもあります。携帯電話会社のような2年縛りのプランではないので、会わないと思えば、初期コスト(事務手数料としてのパッケージ代)の2~3000円)だけ支払えば簡単に別会社の別プランにでも変更できます。また同じ会社の場合は、ネットで変更依頼をするだけで、同じSIMカードが使える場合も多いです。

こうした月間の通信容量のかわりに、1日の上限を決めているプランもありますが、日ごろ有線LANのデスクトップでのネット接続がほとんどのユーザにとっては、1日当たりで決められてもよくわからないし、意味がないと思ったのでスルーしました。

ところで、iPhoneを解約すると、これまでカフェなどで使えていたソフトバンクのWiFiスポットが利用できなくなりますが、私の場合はたまたま、NTT西日本のフレッツポイントが1年間無料で使える時期に入っていたのと、過去1年のフレッツひかりのポイントで今後もずっと無料で利用できることがわかったので、NTTのホットスポットでは、SIMカードに依存する必要がなくなりました。

余談ですが、家の近所で一番近いホットスポットがドライブスルーのロッテリアだとわかったので、家中のモバイル端末とNTTから届いたIDやパスワードが載ったレターを持って、設定してきました(いまどき「個人情報だから」郵送された紙じゃないとダメだというw)。



もちろん、こんなのは必要が出てからやってもいいのですが、無意味な文字の組み合わせをたくさん手入力するので1つでも間違えればやり直しだし、表示どおりの文言が出てこな場合は勘で入れてはやり直す、ということを繰り返すので、余裕があるときに端末に記憶させておくのに越したことはありません。(それにしても、0《ゼロ》とO《oの大文字》や1《イチ》とl《Lの小文字》とI《iの大文字》ぐらいはカタカナ表記を別途付けてくれと思います。一部出ていますが一部だけです。ゼロには斜線すら入っていません。)

iPhoneは3GSも4Sも、まだまだ優秀なステレオやカメラとして、あるいはiTunesのリモコンとして使えるのでWiFi環境では生き残ります。

ということで、こんどは050IP電話をどうするか、というお話。実は、私が通信データ用格安SIMへの乗換えを決めたのは、050IP電話をiPhoneで試してみて、これは使える、と思ったからなんです。

ということで、こちらにまとめました。↓↓↓

格安データ通信SIM+スマホ用050IP電話でモバイルコスト激減(体験談②「050IP電話サービスを使う」)


2014年1月22日水曜日

本物の市民派が推す候補者 vs (自民A or 自民B)の闘い

東京都地知事選、細川護煕候補が告示日の前日になってやっと政策らしいものを語りました。

原発がないと電気が足りないとか、経済が困ると未だに思い込んでいる人たちにとっては、この会見はかなりアピールしますね。脱原発派が3年近くずっと言ってきたことばかりですが。




1本め、最初の2分は雑音。なんせ他人が書いてくれた原稿なので、自信のない箇所はうつむいたままだし、声もすごく小さくなりますが、脱原発はご本人の言葉で語れることも多いので、徐々にかなり堂々と話されてます。

元首相ということで超有名な人が話すことによって、これで原発のウソにやっと気づく人が出てくるなら、それはそれでいいかもしれません。

「脱原発」があまりに重要なので、この会見では政策ではなくその知識や理念に多くの時間を割き、浜岡や東海第二や柏崎刈羽の原発が事故を起こしたら、オリンピックや消費税やTPPどころではなくなるという論理の飛躍で、他の問題に対する政策の発言を割愛しています。草稿した小泉自民組の配慮がよくわかりますね。

2本め12:26ごろ、ニコニコ動画のナナオさんが質問したときに、支離滅裂な回答しかできないのも、まぁこんなもんだとしましょう。

「むこう3年国政選挙がなく…都民の脱原発意識もまだ他人事のようにふんわりしたものの中、どうやって(今回の)選挙戦を通して脱原発を浸透させていかれるお考えでしょうか」「(しどろもどろで)先にも申しましたように…これは国の存亡が関わる話です……そういうことですから、都民の皆様にもよく考えて、選択して頂きたい」…orz... って…、小泉元首相から、いかに議論をかみ合わせないようにするかを習ったかのようです。

また、都民生活の具体的な問題点に触れることもなく、日本橋の上の高速道路をとり払ったり、新たに路面電車を作るという構想が出てきます。ゼネコンには新たなカネが血税からまわるというメッセージかもしれませんね。

脱原発の理解を証明しようとしながらも、東北や首都圏の深刻な土壌被ばく、人体の内部被ばくについては触れず、「仮設住宅で未だに頑張っている人がいるから」、東京と東北各都市でのオリンピックを成功させたいそうです。

担がれてのこのこ20年前と同じ過ちを起こすために登場したお殿様の性分がよくわかります。(最初は小沢氏、その後、小泉氏に説得されたことになっていたのに、後に妻からの勧めで自分から決意した、と二転三転。証拠がいらないエピソードはどうにでも書けますが、説得を受けてきたことを仄めかしていた本人のインタビューを見てきたら辻褄合ってません。)


さて、ここで宇都宮けんじ候補の政策について、数分ごとに切り取った(つまり携帯でも見やすい)動画があるので、どれでもいいから1つ2つ、できれば全部視聴してみてください。


宇都宮けんじ緊急記者会見① 脱原発一本化について語る

宇都宮けんじ緊急記者会見② 消費税増税対策として財源を語る


宇都宮けんじ緊急記者会見③ 副知事には女性を!女性を活用し…

巨大オリンピックスタジアムどーするの?? 宇都宮けんじ緊急記者会見④

興味のある方は、あと2本ほどどうぞ…
宇都宮けんじ ブラック企業対策について語る 2014/1/19【2014都知事選】 宇都宮けんじ 蒲田街頭演説 2014/01/18

カネのかかる公共事業ではなく、福祉に力を入れることのメリットなどを具体的に説いています。たとえば、待機児童の問題。保育所を作るには、働く人が必要なので雇用創出になることなど卑近な例から説明。雇用が生まれ、個人の収入が増加することによる社会全体の経済効果を語ります。将来維持費で赤字経営になるような箱物は作ってはいけないと力説。自分で帳簿の数字が読める人ならではのリアルさ。ゼネコンは嫌でしょうね、こういう候補。

で、こういう発想はサヨクだ、共産党だ、と言う人が出るんでしょうが、上流からでも下流からでも、セイフティネットが整備されて、社会全体が過ごしやすくなることは、経済理論で証明するまでもなく、欧州、とくに市民の発言が政治に生かされる北欧諸国の例が示しています。

政策の具体性、実現性、本気度で言うなら、宇都宮候補のような選択肢がまだ東京に残されていたというだけでも、喜ぶべき奇跡だと思います。

で、暴走を続ける安倍政権にストップをかけるためには、知名度も”政界での実力”もある細川候補(正確には、細川・小泉二人羽織)に一本化して支持するべきなのか。そうでなければ、安倍自民が推薦する舛添候補に負けてしまうことは確実なのでしょうか?

これ、質問が根本的に間違っていると思います。

安倍政権を打破できるのはどちらかって(´・∀・`)??

自民Aの安倍から、そっくりな政策を行ってきた自民Bの小泉に変わったとして、喜ぶのは誰?テレビがあまりにこのふたりの顔を映しまくるので、錯覚を起こしている人がいるようですが、選挙は莫大なカネがいります。脳みそも要ります。安倍晋三と小泉純一郎にそんなものありましたか?

なんのために、NHKが朝から晩までしょっちゅう、関係ないはずのときにまで、安倍晋三の顔を映画スター並みのクローズアップでサブリミナルに刷り込むように放映し続けてるんでしょう?あれ、安倍をスターとして売り込むだけではないですよ。安倍に怒りを燃やす人にも、個人にフォーカスして構造的な問題が見えないようにすることに効果を発揮します。

Facebookの都知事選に関わるあるスレッドで、「宇都宮さん支持だけど、ここは細川氏に」と願う人がこんなコメントを投稿してました。
細川を都知事というのは、たんなる脱原発シングルイシューではありません。それこそが、ストップ・安倍の第一歩なのです。とにかくそれで、安倍は自信をなくします。あいつに「俺はだめだ」と悟らせることが何より大事なのです。その取り巻きの連中にもね。
なんと、『安倍とその取り巻き』といういわば雑魚を退治すればことは解決するという発想…(・∀・;) 。

あの…、最初はみんなわかってたんじゃないですか?連日国会でやってるのは、官僚が書いた作文を必死で朗読しているだけだって。

安倍と並べると、まるでデキル人のように見えてしまう小泉然り。「複雑な問題を2択にする見事な才能」とか持ち上げられてるけど、身近な人が言うように、もともと「人の話を理解できない能力」が優れていて、議論をかみ合わせることができない。
 つまり、複雑な現象を理解できないから、自分が理解できる白か黒で語るだけであって、詳細まで理解しながら簡素な表現に置き換えることができるような本当の意味での切れ者では決してありません。

元自民の首相であり、いまだ自民党員である小泉が、政治的に機を見るに敏で、昨年前半から「脱原発」を言い出したからというだけで信用する人が続出し、あげくは、こともあろうか本物の市民団体が推す、本物の脱原発候補をおろせと叫ばせる、こんな緻密なシナリオを書くだけの才覚は小泉純一郎にはあるわけがないと思いませんか。(ちなみに、自民議員にもOBにも目だたないだけで同じ脱原発発言をしている人はいるけど、マスコミがとりあげないだけです。)

仮に、小泉自身が少しアイデアを出したとして、選挙で動く莫大なカネは誰かが準備しなければなりません。当然ながら、それは、小泉が東京都政の実権を(裏で)握ると都合がいい業界関係者であり、過去にもそういう関係を築いてきた既得権益層だと考えるのが妥当です。なんせ、こういうことは敵の出方を見ながら、ときには身内も裏切りながらスピーディに動かねばなりません。

小泉氏の脱原発論は、あれは本気だとは思います。というか、もう、世界中の政治家は原発のような古くて危険なオモチャではビジネスも政治も立ち行かない時代に突入していることぐらい承知しているわけです。(根拠となる英文の文書のリンクはまた後で貼ります。)

昨年後半から、ウソみたいなタイミングで安倍政権が再稼動を表で叫びだし、それがマスコミに報道され、煽られて、原子力ムラの最後のあがきとはいえ妙だなと思った人も多いはず。(もちろん原発利権はまだまだ存在します。)というのは、火山噴火や地震の報道もそれほど隠されておらず、脱原発派であれば初心者でも原発が爆発する危機にビクビクさせられる状況になっているからです。

そこへ、徐々に、一見マスコミが報道しても世間が大騒ぎしないかのように見えていた「脱原発の元首相、小泉氏」の認知度が徐々に高まる。そして、こちらも徐々にメディアの露出が進んでいた熊本の殿様、細川護煕氏を担いで都知事選に登場。

これをもっとややこしくしているのが、生活の党の小沢一郎氏。そもそも細川氏を最初に都知事候補に立つよう説得したのが小沢さんだということで、通常なら小泉氏や細川氏をまず信用しないような小沢支持者らが、「勝つためには細川氏しかいない」と言い出した。(ちなみに、小沢氏と細川氏はオレンジ共済組合詐欺事件で被告側に名を連ねますが、宇都宮氏は被害者の代理人として戦った弁護士でした。)

宇都宮氏からは支持者が離れる一方だという噂まで流された。(これは、最初はある程度本当だったかもしれませんが、今は逆流してより強い信頼関係で戻っているとも思えます。)

今よりもっと無名であった2012年12月の都知事選でさえ、当局発表の数字でも96万票も獲得したのに、「知名度ゼロで惨敗だから、宇都宮は降りるべき」という。(これ、見かけほど根拠はしっかりしておらず、宇都宮支持ではなかった人がシミュレーションをして、まだ支持者を決めていない人を取り込めば、勝利の可能性ありという予測も出しています。)

今でも安倍自民が推す舛添要一候補が当選する確率は高いと思います。NHKでは細川氏の批判は見た記憶がないですが、民法で細川氏を批判しているのか、「マスコミが叩くほうが信頼できる」と言っている人もいます。

いや、既得権益層が一番怖がっているのは、最初に立候補表明したのに顔さえカメラに映さない、宇都宮候補でしょう。

私は、舛添が当選するのも、細川が当選するのも同じことだと思っています。安倍のバックと小泉のバックと、利権でかぶらない層は僅かで、大半は同じはずだからです。

つまり、この都知事選は最初から、宇都宮けんじ vs (自民A or 自民B)という構図です。

宇都宮氏の支持者の多くは彼の人柄や過去の実績を信頼しているのは事実ですが、それと同じくらいなんとかしたいのが、安倍にも小泉にも二度と実権を与えなくないという危機感です。

安倍の暴走を止めたいからと細川氏支持に回った人たちは、宇都宮氏をドンキホーテなどと呼び、支持者を感情優先とよぶのですが、小泉に対する警戒心が驚くほど消え去っています。

いま権力とカネが回ってくる利権層にとって、安倍の賞味期限が切れる頃に、同じ自民から次の権力を握る人物を都政を通じて下々に認識させておく、日ごろからテレビの露出を高めておく、ということは普通のリスクマネジメントではないでしょうか。

しかも、その政治家には既に同党の政治家となった息子がいて、マスコミの露出度も良好という状況。

そして、説得されて担がれたとしても、追い詰められて任務を放り出した実績のある「元総理」の細川。これは猪瀬同様、いざとなったときに使い勝手のいい駒だと思います。

プライドが高くて、担がれていても暴走しかねない舛添氏より、利用価値の高い細川氏のほうが私は怖いです。

「脱原発派でふたつに分かれてないで、みんなで一緒に舛添候補を叩きましょう」という仲良しクラブ的発想の人が時々いて、「いいね!」クリックをたくさん集めたりしてますが、何を悠長なこと言ってるんだろうかと思います。

脱原発で売っている細川氏の政策発表だけ聞いてもわかります。唯一の選挙の争点としたがっている「脱原発」でさえ、何一つ具体的な政策は挙げてません。我々が既に知っている「起こってはいけないこと」を読み上げているだけです。あとは全部、自民と同様の机上論の美辞麗句。宇都宮氏のように、本当に都民の多数を代弁するようなことを喋ると、都政から今後も血税を貢がせるつもりの利権層が選挙資金を出すわけありません。


こういうことを書いていると、何もかも推察レベルの陰謀論じゃないかという人が出てくると思います。細川・小泉のバックに自民がついてるのと同じように、宇都宮にも共産党がついてるじゃないか、という人もいます。(宇都宮陣営のスタッフは市民ボランティアであって、共産党も社民党も、緑の党も、勝手連的に推薦・応援しているだけです。詳しくは、水野誠一さんの説明を読んで下さい。なお、NHKでは細川候補についてだけ、政党が勝手連的に応援している説明を付け加えています。)

ここまでくると、もう人を見る目というか、判断する本人の生き方の問題です。仮に、細川氏が自民に公式な推薦を受け、宇都宮氏が共産党から公式に推薦されているとします。当選した後になって、都民が犠牲になってしまう、とても飲めないような条件を支持政党から持ちかけられたとします。そうなるとカネも出してもらってるし、どちらが都知事になっていても拒否は簡単ではないでしょう。細川氏はまず、こういった軋轢を起こさず、たとえ都民が犠牲になろうと、支持してくれた陣営の条件は飲むと思います。演説では過去の過ちを多少謝罪したかもしれませんが、自分の生き方によって証明してくれたわけではありません。

では、宇都宮氏はどうか。最悪の選択を回避するためにあらゆる手を尽くすことをしないで、むざむざと都民が犠牲になるような選択をするでしょうか。宇都宮氏のこれまでの生き方を見てきて、発言の内容もしっかり聴いてきて、それでも、細川であろうと宇都宮であろうと、人間大して変わらないよ、とでも言う人があるなら、そういう考えかたがその人の生き方なのでしょう。

先人や前任者らが山積させた、あるいは黙殺してきた問題を、自力で解決に持ち込んだ経験のある人なら、何が違うかわかると思います。また、そういう人を身近に知っている人も、わかると思います。

宇都宮健児という弁護士に会わなかったら地獄から抜け出せなかったような人が大勢います。



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2013年10月27日日曜日

ビタミンCの発見者セント=ジェルジ博士が生きていたら

ビタミンCの発見者として1937年にノーベル生理学・医学賞を受賞したアルバート・セント=ジェルジ博士。2011年の9月16日に、Google Doodleが生誕118年を記念して、フルーツのロゴを表示していたのをご存知ですか?

クリックでGoogle Doodlesのページに飛びます。



ビタミンCを発見してくれたお礼が英語で簡単に添えてあるだけで、あとはロゴの説明ですが、グローバル表示だったので、パーソナライズしていない検索画面を使っていれば、見たかもしれません。

単なる偶然だと思いますが、科学者として広島・長崎の原爆投下を非常に憂慮していたセント=ジェルジ博士、亡くなったのはチェルノブイリ原発事故の約半年後の1986年10月22日、そして、Google Doodlesが博士の生誕をとりあげたのが、福島原発事故の約半年後の2011年9月16日。

自分が発見した「ビタミンC」が「放射能」の被曝に対して、どれほど役に立つか、博士は知らないまま逝かれたと思います。現代科学の歴史を眺めると一見まったく無関係に見える2つのテーマですが、利権の裏側では切り離して考えることはできません。

核兵器を含む軍需産業と、医薬医療業界とは同じ利権グループで繋がっていることが多いことは、3.11以降は次第に明らかになってきました。

ガンで稼ぐ医薬メーカーがビタミンCの効能や、薬に頼らず食品や栄養素で健康維持することを黙殺したり、副作用デマを流して攻撃することは理解できますが、ビタミンCの点滴療法で、被曝した原発作業員のDNAが正常値に戻ったという朗報を、政府や東電だけでなく、マスコミも日本医師会も黙殺しました(点滴療法研究会からのレターを徹底無視)。つまり、被曝に苦しむ国民に治って欲しくない理由があるということですね。福島へ行く自衛隊員がビタミンCを飲んでいる事実も、点滴療法を行う医師が認めているのに、マスコミ報道されないように統制されています。

なぜ今、セント=ジェルジ博士のことをとりあげたかったかというと、たまたま絶版になっている博士の著書、1970年の「狂ったサル」を読んでいると、私たちが3.11以降、ツイッターやFacebookで叫んでいることが、そのまま出てくるので、まるで目の前に博士がいるような気さえするからです。もし生きていたら、ベトナム戦争に反対した若者たちの支えになったり、ジョンソン大統領の再選を断念させたほどの力をもたらしてくれたかもしれません。

博士はビタミンCの発見者というだけでなく、ヒットラーを堂々と批判して秘密警察に命を狙われる中、地下に潜ったり、スターリンにも直言して不興をこうむったり、おまけにアメリカへの亡命の際にも、親ソ派とみられて、しばらく入国拒否されるなど、波乱万丈の人生を送ってきました。

第一次世界大戦のときに祖国ハンガリーで徴兵されたときには、なんの恨みもない敵兵を殺戮する愚かしさに耐えきれずに、自分の腕を撃って処罰されたり、傷が治ったあとに、イタリア兵捕虜に危険な生体実験を行えという命令を拒否。その罰として、マラリアのはびこる土地に送られたりしています。また、ベトナム反戦では、兵役を拒否して投獄されたり亡命したりする若者を徹底して応援しました。まだアメリカ全土でに戦争賛成派が闊歩していた頃からです。

ライナス・ポーリング博士も自分の身を省みず、平和のために政府も米国の科学界も敵に回して闘った人でしたが、それ以上に波乱万丈で、政治に巻き込まれることを厭わなかったのが、セント=ジェルジ博士

国家が軍産複合体に支配されているかぎり、どうも平和主義を貫いた有名人というのは、できるだけ報道しないようになっているみたいです。平時にはバラエティやドキュメンタリー番組では扱うこともあるので、NHKがかつてはこんな良心的な番組をやっていたのかと驚くこともしばしばですが。

点滴療法研究会の動画を通してライナス・ポーリング博士に「出会った」とき、なぜこの人がアインシュタインほど有名でないんだろうと思いました。ビタミンCの効能を世に知らしめようとしただけでなく、科学界の巨星として、ノーベル化学賞を受賞したほどの人。単独でノーベル賞を2度受賞した世界でただ一人の人。
  ただし、地上核実験に対する反対運動の業績によりノーベル平和賞を受賞した人でもあり、また、ビタミンCの医療での効果を世間に知らしめようとしたので、軍需産業や医薬業界には非常に厄介な存在でもありました。反核運動での影響力が強かったこともあり、終身雇用のはずであったスタンフォード大学から実験室をとりあげるような嫌がらせを受け、その後去っています。ビタミンCの研究に関わる部分では、伝記の作者が妙に矛盾する人格を描写して、2種類の異なるストーリーが流布しています。

アインシュタイン博士は、自分の理論が原爆に使われたことを後悔して平和運動を立ち上げましたが(ポーリング博士も参加しています)、核兵器開発には貢献した人だからなのか、マスコミはとりあげることを躊躇しません。が、当時、生化学を学習した学生や研究者らにとっては、ポーリングも同じくらいスターであり、日本へも一般人対象の講演に何度か招聘されています。

ビタミンCを知らない人はいませんが、ビタミンCを発見したのがアルバート・セント=ジェルジ博士であるということは、なぜこれほどまで知られていないのでしょうか。また、解剖学をかじったことのある医療従事者やスポーツ・インストラクタならお馴染みのアクチン、ミオシンによる筋の収縮メカニズムを解明したのもセント=ジェルジ博士。

知られていないのはたまたまだ、と思われるかもしれませんが、NHKが1969年に来日講演を全国放送しています。博士の半生をヒットラーと対峙した科学者としてハリウッド張りにとりあげるだけでも視聴率を稼げるのに、その後のマスコミに全くスルーされています。

当然といえば当然ですが、我々が学校の図書館やマスコミで知る偉人というのは、その時の政府や行政機関、そしてそれを操る既得権益業界にとって邪魔にならない人たちなわけです。

たとえば、トマス・エジソンは電話機や蓄音機、電球などを発明した功績で、今でも感謝と尊敬を集めていますが、死刑用の電気椅子の売り込みにも熱心であったことはあまり語られません。エジソンの名が忘れられることがないのは、何度もテレビ番組が作られ、流されていたからかもしれません。(原発事故の後で身にしみることですが、電気の便利さを宣伝し続けることは、業界にとって非常に重要なことでもあります。)

さて…、前置きが長くなってしまいましたが、絶版となっているらしく、中古本しかない「狂ったサル」の日本語版(国弘正雄訳)、を少し書き起こしてみます。これは、今読んでも全然古くない、いわば不朽の名著だと思います。使い古された反戦のことばが並んでいると想像されるかもしれませんが、どこをいきなり開いて読んでも科学者らしい視点が感じられ、また、セント=ジェルジ博士の人柄に触れることがすごく新鮮で、できるなら丸ごと引用したい本です。

なお、国弘正雄氏の訳者まえがきも読む価値が高いと思えるので興味のある方は⇒こちらです。

「狂ったサル - 人類は自滅の危機に立っている」(The Crazy Ape, 1970)
(アマゾンのページが別タブで開きます)


はじめに
いまや人類が、誕生以来もっとも重大かつ深刻な時期に遭遇していることは、なんの疑いもありません。あまり遠くない将来に、人類の絶滅すら考えられるほど、重大な危機です。
この危機的状況の原因や解決策については、数多くの論文が書かれ、軍事、政治、技術、経済、歴史など、さまさまな分野からの分析がなされてきました。しかし、生物の種としての人間という原点は、どうやら忘却されているようです。一人の生理学者として、私がこのささやかな書物のなかでこころみたのは、この立場からのアプローチです。
人間というのは、ヘビにように、古い皮をぬぎ捨て、新しい皮を身にまといながら成長していきます。このプロセスは、どうやら人類史にみられる狂爛と静寂の繰り返しと期を一にしているようです。
ルネッサンス期の賢者エラスムスは、この二つの時期を区別しました。狂瀾の時期というのは、鋭角的な過渡的現象の存在する時代で、移り変わりが鋭ければ、それだけ狂瀾怒涛も激しいわけです。
そこでわれわれは、二つの問いに答えねばなりません。一つは、今日の鋭角的な変転の原因がなんであり、いま一つは、どうしたら人間が新しい皮に身をおくことができるか、という問いです。しかしそれにもまして究極的な問いは、理性をもっているはずの人間に似つかわしくもなく、狂ったサルのような行動におちいりがちな人類が、はたして現代の欺瞞を超えて生きのびることができるであろうか、という点です。
 [p5]
1.この愚かしい時代
人類は度しがたい愚か者のような行動をしています。なぜなのでしょうか。私がとりあげたいのも、実はこの点です。
人間の歴史において、寒さや飢えや病気の心配なしに、真に生活を楽しむことができるようになったのは、今日をおいてほかにはありません。基本的な必要をみたすことができるようになったのも、今日がはじめてです。ところが逆に、ただの一発で人類を破壊させ、この美しい地球を汚染や人口過多で人間の住むに適しない場所に変える能力をも、はじめて手に入れました。しかも地球は、悲劇的なまでにますます小さなものへとなりつつあるのです。
この二つの選択のどちらを選ぶかについては、なんの知恵もいりません。どんな愚か者にも賢明な選択は可能です。喜びをとるか、苦痛をとるかのどちらかだからです。にもかかわらず、どうやら人類は後者の途を選び、「ゴキブリ天国」をもたらそうと懸命になっているようです。ゴキブリというのは、高エネルギー放射能にきわめて鈍感です。したがって、人間の生命を支えるための資源がすっかり底をついてしまったのちでも、十分な食物をさがして生きていくことができます。
世界でもっとも裕福な国においても、飢えている人は5パーセントにも上ります。他の地域では、それが50パーセントにも達するのです。子どもは健全な身体をつくるだけの食物がないままに空腹をかかえて寝床に入ります。
このような状況が続いているというのに、他方では、アメリカ一国だけでも、実に1兆ドルもの巨額のお金を第二次大戦以降、いわゆる、「防衛」のためだけに使ってきました。大量殺人の道具のためにです。むろん、ソ連もひけをとってはいません。
このような金額はあまりに膨大すぎて、よほどの想像力のたくましい人でもピンとはきません。これだけのお金があれば、人類の存在のレベルをとうに引き上げることができたはずです。これはまさに犯罪的というべき行為ですが、それだけではありません。実にそれは愚かしさの限りです。
これだけのお金とひきかえに、われわれが手に入れたものといったら、不安定、いらだち、それに自己破滅への手形ぐらいです。しかも、われわれの運命を、とても信用するわけにはいかないような連中の手中に、委ねてしまったのです。
人間が、これほどまでに愚かしい存在であるとしたら、どうしてはじめの何百万年か生きつづけることができたのでしょうか。おそらく、二つの理由が考えられるでしょう。
一つは、人間はそれほどまで無思慮ではない、しかし状況がすっかり変わってしまったのに、環境への適応が不可能になり、その結果、人間の行動も愚かしいものになってしまった、という説明です。
いま一つは、人間の実態は、自己破壊的という点では、いまも昔も変わらない、ただいままでは、自己破壊を可能にするだけの技術的手段を欠いていたのだ、という考えかたです。事実、歴史を通じて、人間はたくさんの無意味な殺戮や破壊を事としてきました。自己破滅にまで至らなかったのは、殺人用の道具が粗放かつ非能率だったおかげです。暴力が吹き荒れたとき、多くの人が生き残ることができたのも、これが理由でした。ところが現代科学は状況を一変しました。今日、われわれは一蓮托生なのです。
この二つの解釈のいずれが正しいにせよ、もし多少なりとも存続の希望をもとうと思うなら、このような「みぞ」にはまりこんでしまっている理由を見いだし、そこから抜け出す可能性があるかどうかを検討することこそ、まさに焦眉に急といえます。
[p8]
2.宇宙時代の人間と自然
自然は巨大で人間は矮小です。人間の生活は、質量の両面において、人間と自然との関係に大きく依存してきましsた。どこまで自然の性格を理解し、その力を自分たちの利益のために使うことができるか、という点にです。
生物の種が生き残っていけるかどうかは、まわりの環境に適応していけるかどうかによって決まります。人間とても他の生物の種と同じことで、生まれおちた環境に適応していかねばなりません。
十万年も昔のことであれば、世界も単純なら、問題も単純でした。毎日をどうして生きぬくか、ということだけが主な問題だったのです。食物やねぐらを見つけ、性交渉の相手をさがすなど、ごくごく単純な必要をみたすだけで十分だったのです。そして人間は、彼らを取り巻く世界の基本的な要素、たとえばクマとかオオカミ、岩石と樹木とを区別するための感覚を発達させました。そして、物をつくり使うことを身につけるにつれて、彼の生活はよくなっていきました。針、車輪、矢、火、金属、粘土が固まることなど、次々に発見されるたびに、原始時代から一歩一歩向上していったのです。
これらの発見は、いずれも人間の日常体験にもどづいていました。やがて古代エジプトやギリシャ・ローマ時代の到来とともに、人間の知性はめざましい高まりをみせ、自然を理解するためのこころみが、あちこちで始められました。これらの努力を、「古代科学」と総称することにしましょう。
この時代の科学の特徴は、人間の頭脳に対する信頼でした。知性こそが最高のものであり、これによってとけない問題はない、と考えられていたのです。その例が、アリストテレスと二つの石の逸話です。その後、数世紀にもわたり、アリストテレスこそは最終的な権威とみなされたのですが、彼によれば、重い石の方が軽い石よりも早く地上に落ちることになっていました。
この説に関していかにも目だつのは、それが誤りであったということではありません。アリストテレスがついぞ実験してみようとは思わなかった、という点です。かりに、そうなさったらなどと、だれかが口を出したとすれば、おそらくは侮辱と受けとったでしょう。人間の頭脳がすべての解答を出してくれるのに、なぜ目の粗い行動に訴えなければならないのか、というわけです。
人間の思考の自由には、限界が設けられています。われわれは、時代精神の名で呼ばれる狭いおりのなかに住んでおり、行動の自由は大きく限られています。時代によって人びとの考えが変わるのはおりが広くなったからではなく、ただ位置が移動しただけのことです。アリストテレスが二つの石を実際に落としてみて、どちらが早く地上に達するかをためそうとはしなかったのは、時代精神のしからしめるところでした。
16世紀という時代は、人間の頭脳に大きな変化がおきた時代のようです。現に、ある一人の鼻っぱしの強い若者が、二つの大きさのちがう石をふところに、ピサの斜塔にのぼり、同時にそれを落としてみて、どちらがさきに歩道に達するかを仲間に観察してもらった、ということがありました。
ガリレオ・ガリレイがこの人ですが、彼は自分の頭脳の完全性を信じなかったばかりか、五感の完璧さをも信じませんでした。望遠鏡を組み立てることによって、五感の不足を補おうとしたのです。その助けをかりて彼は、木星をとりまく衛星を発見、初めて紹介したばかりか、宇宙が人間の喜びや誘惑のためにつくられたはずがない、という点を証明しました。この人間の頭脳の再生が、世に「ルネッサンス」の名で呼ばれるものです。
ガリレオを筆頭に、ケプラー、ムーペンフークなど、数多くの先見の明のある夢想家がそのあとにつづき、測定、観察、計算を通じて古典科学をつくりあげ、ニュートン、ダーウィン、パスツールにいたってそれは絶頂に達します。
古典科学が取り扱った世界は、われわれが生まれ、適応をこころがけ、生活の場としている世界でした。つまり、われわれが知覚しているかぎりの世界でした。したがって古典科学は質的に新しい要素は一つとしてわれわれの生活に導入しなかったのです。
しかし、人間をとりまく世界の内的相互関係は明らかにしてくれました。そして人間の思考に莫大な影響を与え、神様の思いつきにかえるに、法則と一貫性とをもってし、初めて人間に、自分の本質と位置について一つの考える糸口を提供したのです。
古代科学が人間の生活を変えなかったのとはうらはらに、古典科学は数百年間の潜伏期を経て19世紀にいたり、産業革命への途を開きました。産業革命は人間生活の質的な向上に大きく寄与しました。しかし、質的に新しい要素をなんら導入してはくれなかったのです。
針は何千年もむかしから知られていました。ミシンは、縫うという作業のスピードを速くしたにとどまりました。同様に、当初は「鉄馬」と呼ばれた鉄道は、生身の馬を追いぬくことができましたし、旅行をそれだけ快適にしてくれました。また、たしかに死亡率は低下し、食糧や品物の生産は増大し、工業労働者という新しい社会階級が誕生しました。にもかかわらず、世界の構造は全体として昔のとおりだったのです。
今世紀の初頭にはいり、四つの重要な発見がなされ、人間の歴史に新しい第一歩を録しました。エックス線(1895年)、電子(1895年)、放射能(1896年)、量子(1900年)がこれで、ほどなく相対性理論(1905年)の発見があいつぎました。
これらは、われわれの五感では明らかにされえません。つまりこれらの発見は、人間をとりまく世界にはそれまで予想だにしなかった、また五感をもってしては、どんな知恵も入手できないような場があることを、明らかにしました。
なんの知識も与えてくれないばかりか、なんの知識も与えないことが存在の目的である、とすら言えます。さもないと、無用なばかりかわれわれの死を意味することになります。かりに、われわれがトラックのかわりに、トラックを構成している原子や量子が見えたとしましょう。はねられて死ぬのがおちです。またわれわれの祖先が、クマのかわりに電子を見ることができたとすれば、食べられてしまったにちがいありません。
人間の歴史は現代科学の登場の前後で二つに分かたれます。最初の時期においては、人間は生物の同じ種として仲間が生まれ、自分自身とその五感とを適応させる対象としての世界に住んでいました。ところが、第二の時期においては、人間は未知の宇宙的な世界に、一人ぽつねんと足を踏み入れたのです。これほど急激な過渡的な状態を経験したのは、まさに未曾有のことでした。
私はそれほど年老いてはいませんが、それでも科学者であった私の叔父が、パリのフランス学士院で論文が読まれ、空気より重い物体が空を飛ぶことは絶対にできない旨の証明がなされた、ということを聞かせてくれたのを覚えています。空を飛ぶという話が出てはじめて、みなが気がかりになっていたこととて、この論文で安堵の胸をなでおろした人は数多くありました。
また私の父の農場に、はじめて自動車がやってきたときのことを思い出します。馬がかくれているにちがいないから、車のボンネットをあけて、インチキをばらせといってきかなかったのは、農場の小作人たちでした。
50年足らずの潜伏期を経て、現代科学は人間の生活を変貌させ、人間が夢想もしなかったような新しい要素をそのなかにもちこみはじめました。人間が意のままに駆使できる力は、もはや地上のそれ、人間の次元のそれではなく、宇宙を形づくっている力そのものでした。
地上のせいぜい華氏数百度の火力は、太陽に熱を与えている核反応の何千万度という超高熱にとってかわられました。人間生活で用いられていた「馬力」という概念は、光や音のスピードにとってかわられました。またそれまでの比較的低能率の武器の力は、原子の手にとってかわられました。港を掘り、山を動かすことができるだけではなく、全社会を瞬間に破壊しつくすことのできる原子の力にです。
ジョン・ブラットの計算によれば(「サイエンス」誌166ページ、通算1115ページ、1969年)、今世紀にいたり、われわれのコミュニケイションの速度は10の7乗、旅行の速度は10の2乗、データ処理の速度は10の6乗、エネルギー資源は10の3乗、兵器の力は10の6乗、疾病を制御する力はおおむね10の2乗、人口増加率は、10の3乗の割合で増大したといわれます。
いずれも数千年前とくらべてのことですが、これとても、ほんの糸口にしかすぎません。しかも無限の可能性を二つの方向に向かってもっています。一つは想像もできなかったような豊かさと尊厳とのうちに人間生活をつくりあげているという方向、いま一つは、名状しがたい悲惨のうちにぷっつりと終止符を打つ、という方向です。
われわれは、いまや宇宙的な世界に住んでいるわけですが、元来、この世界は人間のためにつくられた世界ではありません。ですから人間の存続は、どの程度の速さと徹底振りでこの新しい世界に順応していけるかにかかっています。つまり彼の考えとすべて再構築し、社会的、経済的、政治的な構造をつくりなおすことにかかっているのです。適応の速さと、破壊のための力との競争だともいえるでしょう。しかしいまのところは、明らかに遅れをとっているのです。
しかもわれわれはこの事態に、洞窟に住んでいた原始人と同じ頭脳で対処しなければなりません。頭脳というのは形成以来、たいして変わっていないのです。
われわれの考えかたや機構や方法も古ぼけたものなら、政治指導者も古ぼけています。彼らは昔の前科学時代に根をおろし、これらの難問を解決するために必要なのは、まやかしと食言のみであり、核兵器のストックをふやすことだと考えているような手あいです。しかも核兵器の貯蔵量といったら、地球上のすべての人間を三度も殺戮するだけの量に達しているのです。
また彼らは、単一の弾頭を複数弾頭に変え、新しいミサイル、対ミサイル用ミサイル、さらには対ミサイル用ミサイル用ミサイルなど、しょせんは死の道具にすぎないものに無慮何百何千億ドルの巨費を投じることが、唯一の問題解決策だと信じています。われわれはすでに、遠隔の地にある都市をただの一撃で破滅させることができます。にもかかわらず、われわれはますます多くのミサイルを、あるいは地上に、あるいは海中に配備し、いますぐにでも撃ち出せる状態においています。数の多少が戦闘の帰趨を決めた、古きよき時代の弾薬でもあるかのようにです。
このことがおそろしいまでに馬鹿げているのは、これらの爆弾が使えないという点にあります。あまりにも破壊力が大きすぎるからです。そんなものを発射したら最後、人間は集団自殺するよりほかにしかたがありません。
世界最強の軍事大国が、開発途上の小国をもてあつかいかねているのが現状です。その小国は、これらの強力な爆弾など一つももちあわせてはいません。にもかかわらず、相手の貴重な資源を枯渇させています。[引用註:ベトナムのことと思われます。]
自分の居間でスリッパばきのくつろいだ姿で、人間の仲間の一人が月に降り立つのを目のあたりにし、しかも彼らの話し声まで耳にすることができるのが今日の世界です。そして新しい指導者や方法を求めます。われわれがなんらの「新しい」考えかたを発想し、「新しい」指導者を生み出し、「新しい」方法を開発していないという事実は、われわれの行動が何万年か昔の人間の行動と異なっていないということによっても明らかで、われわれを気おちさせるに十分です。
長い間、人間の主たる関心は死後の生でした。ところが、死の以前にはたして生があるのかどうかについて問わねばならぬ時代をわれわれはいまはじめて迎えたのです。
[p16 ]

[引用ここまで]

なお、日本語版の「狂ったサル」には、第二部に続編ともいえる「未来とは何か」(What Next?)、第三部に1969年10月16日のNHKテレビ放送より収録された「私の歩んだ道 ― 戦争と科学」などがついており、中古の価格では破格値といえます。コレクター商品では12,600円というプレミアム付きになっているのは十分理解できます。

追記: 第1章6節「軍隊の生物学」を先に書き起こし、一般公開しました。自分が日本を救えると信じているらしい石破茂の前で朗読してやりたい箇所のひとつです。