2013年4月4日木曜日

白内障の失明リスクを克服した物理学者、三石巌のメガビタミン

前回は、メガビタミンという言葉をつくったストーン博士の話で、ヒトが遺伝的に必要としているビタミンCの量は、グラム単位、病気などストレスと闘うときには数十グラムから百数十グラム摂取するという話でした。

普通の食事だけで健康に生きてきた人なら、ビタミンCの大量摂取の必要性は感じにくいと思いますが、これは40歳ぐらいまでは、代謝によって、体内の栄養素が上手くリサイクルされたり、免疫力が高いためかもしれません。

なんでもない動作でアキレス腱が切れたり、ぎっくり腰になったり、ガンやその他の難病にかかりやすくなるのは中年以降、つまり体の老化が関係しているわけですが、ひとつには必要な栄養素を体内保持できる量や時間が少なくなっていることがあります。

元々物理学者であった三石巌氏(1901-1997)が、独自の分子栄養学(三石理論)を立ち上げるきっかけとなったのは還暦を迎えた年でした。

ひどく目が霞むので大学病院の眼科へ行ったところ、「白内障で、2~3年もすれば見えなくなるでしょう」と言われたのです。当時の医学では白内障の治療法がなかったのですが、これを機に自分で白内障を治す決心をした三石先生が着目したのが栄養でした。

文献によれば白内障の原因はビタミンCの欠如であるとされていたので、浴びるようにそれを摂れば、完璧に治癒できなくても進行を止め、失明は予防できる可能性が高い、と考えました。そして自分でビタミンCの注射を打つまでになったのです。

結果、失明しなかっただけでなく、90歳を過ぎても執筆・講演活動を活発に行い、夏は水泳、冬はスキーを楽しみ、細かい譜面を見ながらパイプオルガンを弾くような生活を送っていました。300点を超す著作の大半は、60を過ぎてからのものです。アンチエイジングの研究も他人事ではなく「自分ごと」でした。

そんな三石先生が、なぜ大量のビタミンC(メガビタミン)が必要なのかを説明するために、たてた仮説が「カスケード理論」です。カスケードとは、「段々滝」のことですが、段々畑や棚田と構造は似ています。
 

経口摂取や静脈点滴・注射など、「上流」から流れてくるのはビタミンCで、それが何に優先的に使われるかは、個人差があります。風邪予防物質の生成やインシュリン合成に最優先して使われる人も居れば、白内障を予防する物質の合成の順位が高い人もいるという考え方です。

三石先生が白内障にかかったとき、何十年も同じものを食べてきた奥様はかかりませんでしたが、後に認知症など別の病気を発症しました。そこで、奥様の体内ではビタミンCが白内障予防の優先順位が高いと考えました。

生体内のタンパク質を作るための化学反応は3000種類あると言われますが、ビタミンC(分子構造 C6H8O6)はその大半に関わっています。つまり、この段々瀧の段数は4桁にものぼるのです。

三石先生の考えでは、優先順位が低い機能にまでビタミンCが行き渡るようにするには、途中で使われたあとも持ちこたえる量が投入されている必要があり、そのために大量のビタミンCを摂る必要があるのでした。

ただし、ビタミンCが活躍するときにも、そのうち2%は活性酸素を発生するので、三石先生は自称メガビタミン主義ながらも、1日に10g以上のビタミンCを摂るときは注意が必要と言っています。(病気などのストレスによっては日ごろの数十倍の量が必要になることも認めています。)

とはいえ、ポーリング博士はストーン博士並みに1日数十グラムのメガビタミンを摂っていたのですが、93歳までの長寿でした。同じ年生まれの三石先生は、ポーリング博士の死因がガンであると聞いて、「そのような気の毒なめにあったのは」ビタミン量が多過ぎたのではないかと言っているのですが、三石先生もそれからあまり遠くない95歳で亡くなりました。スキー旅行中の肺炎だったそうです。(余談ですが、研究生活中、臓器の中で肺への言及だけがほとんどなかったそうです。)

ポーリング博士は両親とも病弱で若くして亡くなっていることもあり、あまり長寿の家系ではなかったようなのですが、三石先生は遺伝的には長寿でした。

ともあれ、健康で頭脳明晰なまま90代までの長寿という点では1901年生まれのふたりの科学者は、それぞれの持論の正しさを証明したとも言えます。

95歳のときに三石先生が書かれた医学常識はウソだらけ: 分子生物学が明かす「生命の法則」には、ポーリング博士ら、ビタミンCでの健康長寿をなしとげた科学者らの思いを代表するようなことばが随所に出てきます。

”なぜ、医者が口にする「医学常識」を無視しているのに、95歳の私がいたって健康でいられるのか。答えは簡単である。医者の持っている知識が間違っていて、私が正しい知識に基づいた生活を送っているからである。
医者にかからないからといって、私が健康管理をおろそかにしているわけではない。科学者として理論的に正しいと信じる方法で、健康を自主管理している。そして、私の方法と医者が信じている「医学常識」とのあいだには、あまりにも一致しない点が多い。
だから私は医者にかからないし、医者の世話にならなくても夏は水泳、冬はスキーを楽しむほどの健康を保っていられるのである。”
残念ながら、大学で教える医学も栄養学も今でも「古典」領域からほとんど出ておらず、医大ではその古典「栄養学」や古典「生物学」でさえ必須科目には入っていないといいます。

本当に日進月歩である先端科学は医学や医療の現場ではほとんど顧みられることはありません。(実際には、共鳴医学などの先端分野は、既存の科学界でもオカルト扱いされています。新しいものが市民権を得るには時間がかかるようです。)






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