2013年4月3日水曜日

病院に縁が薄い健康家族たちへ - 父の死の本当の理由

一年前の今ごろの私は、後期高齢者の親を持ちながらも、難病告知が身内に起こるのは遠い将来のことだと思っていました。

ガンの原因が遺伝とみなされるのは5%以下だと知っていたのに、「2人に1人」がガンになる、と生保や共済が宣伝(?)していても、自分たちには縁がないと思っていました。

その時の私と同じくらい楽観的な人に、もし万一のことが起こったら、この記事に帰ってきて読んでもらうために、後悔しないための情報を記すことにしました。

この先を読まなくても、こちらのサイトには行ってみて下さい。
統合医学で健康になる会
難病扱いされている疾病に対して最新で最良の選択肢を提示してあるはずです。見るべき動画、読むべき本が遠回りせずに発見できます。


発病した当人が病を克服したいと願うときはもちろん、安らかに終末をおくりたいと思っているときでも、この国の医療の真実をしらなければそれは叶わないということは、そのときにならなければわからないのです。介護・看護にまきこまれたら、情報収集の時間も捻出できないことがあります。

1日100g超の超高濃度ビタミンC点滴療法 体験談”は、軽い言語障害から3か月、脳腫瘍の末期告知を受けてから2か月半という短期間で死に至った父の闘病記となってしまいました。点滴療法でのビタミンCの量が十分だったはずのときに、それを盆休みのために中断せざるを得なかったことで、高濃度ビタミンC点滴療法の抗がん作用の恩恵は十分に受けられないままでした。

しかし、たとえこの療法を中断していたとしても、腫瘍を後退させる手立ては他にも多数存在しており、進行を遅らせながら、ある程度の回復、完治さえ本当は可能であったと考えています。代替療法がどれだけ多くの人を救ってきているか、そのメカニズムを知れば知るほど、治って当然の病だったとさえ思うのです。

思えば、腫瘍による麻痺の進行や言語障害は出ていたものの、父の健康状態は入院3日めの夕食でムセから痙攣発作を起こすまでは、非常に良好で、筋力も大半は残っており、自分で咀嚼して普通食を食べていました。

そこから急激に動けない状態を強要されたのです。病院での2週間、帰宅してからの1週間、主治医らがとった措置は、健康な人間でも衰弱死させるようなお粗末なものでした。その中で、脳幹近くに腫瘍を持った父が3週間生き延びたということは、まともな治療をしていれば、腫瘍の縮小により症状を後退させ、あるいは腫瘍と共存しながら治癒ができた可能性は小さくありません。脳幹まで損傷して復帰した例はいくらでもあるのです。

もし今の自分の知識で、父がたった今、全く同じ状況で、同じ告知を受けたら、9割以上の確率で全快させる自信があります。せめて、もう一度口がきけるように、という程度ではなく、運動能力の回復まで十分に考えられます。

発病に至った要因や、入院中に急激に体調が変わった要因は、整理するとかなり絞られてくるため、それを回避ことさえできれば、入院するまで維持していたハリのある肌艶、血色、生き生きした表情、治る意欲を生かすことはできたはずなのです。

ここでは、同じ立場に突然たたされた人がいたら、高確率で救うことができるということを知って欲しいので、できるだけ医療や介護という点からみた、何をなすべきだったか、を検証します。





もし告知が今日だったら何をするか
脳腫瘍や脳梗塞では初期の症状が、言語障害というのは多いようです。それも、聴力や理解力は最後まで衰えない場合が多いので、インプットができるのに、喋ったり書いたりするアウトプットができなくなる、とても辛い状況が進行します。舌や指が思うように動かなくなるだけでなく、喋ろうとするときに言葉が思い出せない、という症状が悪化するようです。


まず病名や病状を告知することになりますが、このときに、必ず、一般に知られている死の病の概念をとりはらい、治せる治療家も治った患者も大勢いることを伝えます。告知する人間が現代医学にマインドコントロールされて「不治の病」という悲劇の妄想に陥っている場合は、告知はしないほうが賢明です。「このまま助からない」と思うそのショックだけでも、患者の免疫力は格段に下がることがわかっています。

まだ意志疎通がスムーズに行える間に、お金をいくら持っているか、取り崩すときには、どこから引き出すかを確認しておきます。看護・介護する側に経済的余裕が十分あるなら別ですが、支出への対策を立てておくかおかないかが、命の明暗を分けることになります。

本当に有効な治療法は、すべてが高額なわけではありませんが、保険適用できるかできないかに捉われると、大きな判断ミスを起こしかねません。

実際には効果が薄く、患者を苦しめる確率が高い三大療法のほうが、保険適用しても自己負担額がバカにならないのですが、自由診療は1回あたりが高いので、長い目で見て低コストで済む場合でもそれが判断できなくなります。高齢者は現在の1割負担と比較するので、毒にしかならない一般的な治療法を選びがちになります。

家でできる自然治癒力増進のため、吸収率の高いビタミンCサプリを取り寄せ、食事10分前に飲ませるようにします。また、アスコルビン酸(ビタミンC)粉末を購入して、料理のとき、酢の物やサラダに使います。抗酸化力がアップして免疫力も高まります。

一方で、三井温熱治療器のような遠赤外線温熱器を購入し、患部を探るだけでなく、全身、とくに夏でも下半身に冷えがこないように温めます。ガイドブックにそって温熱器を使うだけで、患部がわかり、治癒に向い始める可能性は高いです。

こうしたことと並行して、代替療法で実際にガン患者を治癒している医師を探します。実際に検索してきて言えるのは、Googleなどの検索エンジン以上にいいのが、アマゾンでの書籍検索と実際の書籍購入です。ガンはそれほど恐ろしい病気ではないという結論に至っている治療家は、数千人単位で現代医学が治せない難病の患者を救ってきているのです。

進行ガンの場合は急を要するので、高濃度ビタミンC点滴よりも即効性があるといわれる、ビタミンCとビタミンB17を併用するインスリン強化療法を行なっている医師を探します。

放射線で体を傷つけるCTやPET、またMRIのような機器より遥かに安全で精密、かつ、前者機器では発見できない大きさのガン細胞でも探知できる温熱治療器やマイクロ波によって、腫瘍の位置を特定し、治療を開始します。

VC点滴療法を行うクリニックは元々西洋医学の保険医を兼ねているところが多いのもあり、経過観察にはCTを平気で使います。が、代替医療経験が豊富な医師は、温熱かマイクロ波なども扱えます。

父のための高濃度ビタミンC点滴療法は、交通の便のために神戸市内のクリニックを選びましたが、本気で患者を救う意思と経験がある医者を探します。本気になれば、都市部なら自宅から通える場所にいくらでもみつかるものです。

同じ点滴療法研究会の検索サイトから、例えば大阪守口市の乾クリニックがみつかります。車か電車で1時間半~2時間程度で行くことができる場所に、理想的な治療のメニューを揃えている医療機関があったのに、十分に探していませんでした。

やっと進行ガンの現実を知ったときには、インターネットが使えない病院で1日おきに徹夜の付き添いをすることになっており、正常な思考ができなくなっていました。なので、必要な調査は、告知を受けたら即刻すべてやることが必要です。

そろそろこの世から去ってもいいと患者本人が思っているなら別ですが、本人に治りたいという意志があるなら、ここまでは最初の一週間でもっていきます。告知が青天の霹靂と思えるほど、日常生活に支障が出ていなかったなら、まだまだ体は機能しているということです。それが非常に重要です。

患者の顔をじっくり見ながら話をすることもなく、画像データと統計の数値だけを見て話す医者の言うことを、そのまま真に受けるべきではありません。(そういう医者を信じ簡単に受入れてしまった人たちによって、そういう統計値は作られてきたわけです。)



少しでも麻痺が進んだら
やはり病院のリハビリ施設に連れていきます。病院の評判がよくなくても、リハビリチームは信頼されている場合が多いようです。リハビリの手法は、QOLを重視する欧州からの情報がとりこまれているためか、薬物療法の医者たちより、患者の生活・人生、そして人格を重視する印象があります。


父も家の近所にあった素晴らしいリハビリ施設に週3回通ったのですが、たった2週間半で行けなくなりました。主治医のH医師が紹介した病院からは通えなかったためです。なんとか家での介護を続け、リハビリを続けていたら、機能回復に向かった可能性は高いと思っています。

実際に、原因は脳梗塞ですが、父と同じくらい言語障害や体の麻痺が進んでいた知り合いが、そこで快復したという話を偶然知り、それが治ろうとする原動力にもなっていました。こういったことは、自然治癒力を大きく伸ばすのです。

脳がすべての指令を出し、逆行はないと考える時代は終わりました。家では私がヨガで習った方法で、手足や指をストレッチしていましたが、これは、逆方向から脳を刺激するためです。ヨガでは呼吸の仕方や体の緊張・解放のリズムを学びますが、これは、自分で気づきを得てからだをリセットすることそのものだとも言います。チェルノブイリなどの核事故の後、ヨガを行なっていた人に長寿が多いともいわれます。

なお、利き腕に麻痺が出始めると、トイレでの介護が必要になりますが、この場合、最初から大人のオムツを買っておいたほうがいいかもしれません。父の場合、ビタミンC点滴の日、帰路や帰宅後に対処するために、尿パッドなどを数種類買って、身内の介護師のアドバイスに従って色々やったのですが、双方にとって大変でした。入院してから「大人のオムツ」というものが別にあり、それを装着しておけば済むことだとわかりました。

尿意を伝えるたびに、トイレまで一緒に行ってできるだけ自分でさせるのが理想ですが、元々の頻尿、あるいは生活の変化のために、夜中でも起きることが多くなった場合、起こしたり起こされたりが必要な環境だと、介護する側もされる側もストレスが多くなります。いざとなれば、寝たまま、ただし何をしているか自覚を持ちながら、排尿してもいい、という状態があれば楽になります。飽く迄、腫瘍は後退して麻痺は治ると信じた上で行うなら大したことではないです。



脳腫瘍による麻痺が急激に進んだら
病院への入院はできるだけ最後まで考えないようにします。父は高齢で末期宣告だったためと、最初は告知しないつもりだったのもあり、がんセンターは最初から選択肢には入れていませんでした。これは既に、私自身が抗がん剤や放射線治療を全く信用していなかったのもあります。ガン専門医らは、もしガンにかかったら抗がん剤を使うかというアンケートで、使うという人はゼロだという調査結果をみたばかりでした。


我が家では、母が転んでケガをしたのをきっかけに、介護サポートを求めて入院先を探しました。が、実際には、家で介護するより、24時間交替でふたりで付き添うほうが、遥かに大変でした。(ふたりだけで24時間介護する大変さを訴えて主治医に病院紹介を依頼したのに、「完全介護を謳っているところでも24時間付き添いって普通ですよ」と知らされるのは、入院手続きを済ませたあとなのです。)

真夏に付き添う自分たちの食料まで炎天下の駐車場の車に積んで移動し、日頃の生活に必要なものはコンピュータも含めてすべて家に置いたまま行き来するのは大変です。付き添い中は、他の医療機関の検索や、退院手続に関することを調べたくても、スマートフォンしか手立てがありませんでした。これも命の明暗を分ける結果となりました。

そして、せっかくがんセンターを避けていても、患者を人体実験用の道具としかみなさない医者がいる病院では同じことが起こります。医者自身の人格を抜きにしても、現代医療では「治す」ということに対して感覚がマヒしている医者が圧倒的に多い構造上の問題があります。

父の場合は、明らかに意図的にムセ痙攣発作を半日以上放置して肺炎を作られ、退院できない状態にされたわけですが、ガンの直接死因を「肺炎」とされる例は非常に多く、家族が後々まで納得できない場合が多々あることもその後知りました。

意図的に肺炎にすることは、かなり横行しているのではないかと思われます。「患者さん本人のため」という名目で、絶食を強いられるので、必要とわかっているビタミンCの摂取も禁止されます。いわば「呼吸器」を人質にとられたような状態になります。

ガン患者も抗ガン剤治療のときに、健康食品や栄養素の摂取は一切やめさせられるといいます。体にいいと解っていることをやめさせてまで、正常細胞を損傷するとわかっている抗生剤や抗がん剤を、なんの防御もなく点滴投与するのです。患者の命よ製薬会社に送るためのデータ収集が優先されるからです。

人体実験というのは大袈裟な意味ではありません。高額の薬物を使用する場合、その医療機関にも、メーカーにも、そして許認可した国にも莫大なカネが入る仕組みがあり、個人を特定した調合の場合は、その個人データとともに、薬剤投与の結果が製薬メーカーに渡るので、これで儲けることを味わった医者ならやめられない、ということになります。

結局、後になってやっとの思いで退院させるときに、最初から24時間電話ができる訪問看護師を依頼したり、家での点滴が行なえることがわかりました。そして、吸引装置がなくても、肺に溜まった痰をもっと安全に取り出せることもわかりました。吸引はよほど上手な看護師でないと、気管に傷をつけては出血を繰り返すので、治るものも治らなくなるのです。

看護師らはナマの患者で最初の吸引を練習することも教わりました。父の2週間の絶食中、顔を憶えられないほど大勢の看護師が吸引しに訪れましたが、手慣れた人は圧倒的に少なかったのです。また退院する日の朝、これまで見たこともない想像を絶するような不器用な新人ぽい看護師が表れて、かき回していってくれました。(毎日見ていると素人でも違いがわかります。)帰宅2日めに咳き込んだ父の気管支から暗褐色の粘ついた血の塊が出てきました。


心的ストレスが原因ではない場合は内部被ばくと薬を疑え
安保徹先生や、福田稔先生、三井と女子先生をはじめ、実際にガンを発症した患者からじっくり話を聞いてきた人たちは、ガンの原因の大半は自律神経(交感神経vs副交感神経)のバランスを崩すストレスの多い生活であって、発がん物質などの外的要因は1~2割だといいます。(ただし、これは放射能事故前の話です。

発がん物質とされているものは、実生活ではあり得ないような量の何か(たとえば人間なら数百キロに当る魚の焦げなど)を大量に小動物に無理やり与えて実験している場合が多いので、それはもっともだと思います。

ガンをはじめ、体の細胞を損傷させて疾病を引き起こす活性酸素は、精神的ストレスでも発生するので、心的要因は大きいと思います。

が、父の場合、生来マジメで短気なところはありましたが、とくに19年の引退生活では好きな事を思う存分実践して、趣味を共にする友人も多く、どう考えてもガンを発症するようなストレスを溜めていたとは思えないのです。

どの医師も少し驚いていたのは、発病前年の4月の検診では全く異常のなかった肺に、1年という短期間で目立つガン細胞が育っていたこと。画像では見えにくかった腸からの転移も考えられまが、とりあえず「肺原発の脳転移」ということになりました。

(注熱療法を開発した三井と女子先生は、ご自身の治療経験から、「転移」というのは実はなくて、発がんするときには、既に体中に同様の兆候が出ているため、次々別の部位から発症すると言っていますが、それが真実ではないかとも思えます。転移のメカニズムはあまりに多くの偶然を重ねないと起こらないほど複雑で、ガン細胞が血流に乗って移動したというより、自律神経の乱れによって、体のあちこちの細胞がガン化していったと考えるほうが説明がつきます。)

CTでわかるほどに原発の肺ガンが育っていたということは、通常なら10年くらいかけて自分の免疫力が追いつかないほどガンが細胞増殖していたことになりますが、それも可能性が低い。どちらかというと、原発事故の翌年なので、1年で急速にガン発症する要因があったことも考えられます。

確率は低いですが、ものすごい高濃度の汚染大気を福島第一原発が放出し続けていた最初の3か月間、福島県の中通りや首都圏だけでなく、西日本も汚染大気が覆っているときが何度かありました。兵庫県でも北海道と同じくらいである平米あたり平均17メガベクレルの放射能が土壌から観測されており、これは東北や北関東の高汚染地より桁がいくつも小さいものの、過去とは比較にならない汚染度です。

父が毎年友人たちとツクシを採っていた場所では震災直後からツクシがなくなっています。

日中は外に出ている事が多かったので、関西圏が汚染大気に包まれている時、運動量が多かった父は、肺に放射性物質をとりこむ可能性が、一般の人よりは若干高かったかもしれません。

また、母の料理は魚が多いので、近海で獲れたものはともかく、スーパーの安売りで買った魚や、よく行っていた回転寿司で、腸から放射性物質を摂りこんだ可能性もあります。

元々、ガンなどの病気で亡くなる人が珍しくない後期高齢者世代だったので、311以降になにか目立った変化があったのかどうかはわかりません。中高年は放射能の影響は若年層に比べて少ないと言われています。ですが、実際には中高年層は心筋にセシウムなどが蓄積しやすいので、心筋梗塞などで倒れる例がホットスポット地では増えています

(福島第一の原発事故後は、大気や海水、汚染食品や汚染された木材、がれきなど、日本じゅうに撒き散らされているので、今後は身に覚えのない発症が年を追って増えることが予想されます。チェルノブイリ事故の後、近隣で汚染されたウクライナやベラルーシだけでなく、ヨーロッパ全域で内部被ばく症状が急増しましたが、東京を含む首都圏の汚染度は、ウクライナやベラルーシに匹敵します。ただし、ビタミンCなどの抗酸化物質をたくさん摂ることで、被ばくは軽減できます。)

内部被ばく以上に、私がいま疑っているのは、脳腫瘍による言語障害が発覚する前年に、その後終末期の主治医となったH医師から検診で血中の脂肪濃度が高いと診断され「中性脂肪の薬」の処方を受け、1年余り飲み続けていたことによる薬物代謝です。

父は、医者と薬に頼らず生きることを健康の拠り所としていたため、実生活になんの問題も出ていないのに、薬を毎日飲むようになったことで、この医者を信頼していなかったといいます。

父の日記では、脳神経外科で末期告知を受ける数日前に、検診でH医師に会った記録があり、「すこぶる良好。来月からの来院見合わせ。薬4か月分処方」と書かれています。体調が悪くもないときに、薬を出し、体のあちこちにガン細胞が増殖していたときに「良好」と診断するような医師にお金を払ってお世話になっていた事になります。

血圧にしろ、血中の物質の濃度にしろ、そもそも別のところに要因があり、体はそれを守ろうとして圧力や濃度をあげるわけです。現代医学の標準的な保険医は、根本原因を考えることなく、その表面の症状だけを無理やり抑えつけようとしますが、これは長期間続けると体には大変なストレスになり、ガン発症のもとになり得ることもわかってきています。

恐らく、高齢者の場合は、医者からもらった薬を飲むのはありふれたことであり、ガンやその他の成人病にかかることもありふれたことなので、相関関係を調査することがないのかもしれませんが、調査を行なえば結果は出ると思います。



それでも入院し、絶食・点滴生活になったら
抗生剤投与にはできる限り反対し、並行して院内でビタミンC点滴する方法を探します。少なくとも経口摂取を続けます。医師の多くは栄養剤、特にビタミンの重要性を不当なまでに過小評価します。

また、肺炎や気管支炎と診断されても、それが軽減した時点で、自宅でビタミン点滴が行なえる手立てを考えます。そのためには、保険医でビタミン点滴の自由診療も兼ねている医師に相談する必要があります。ビタミン点滴ができる医師の支援を仰げるなら、抗生剤投与を強行しかねない病院から即刻退院させることができます。


入院すると、多くの人が、入院前よりも体力を奪われる状態に置かれるのですが、酸素マスクをつけていても、根本的な改善をなんら行わないので、低酸素状態が悪化する場合が多いのが一因です。吸入する酸素の量を上げる一方で、深呼吸を繰り返すなど、自力で酸素をとりこむ力を弱めてしまうのです。

そのため、退院させても通院する体力が残っていない場合は、自宅でまず栄養補給が必要になります。今は、保険医が保険適用された療法と自由診療の療法を組み合わせることがなぜか「混合診療に当たり違法」ということになっていて、コストパフォーマンス上、一番良いと思える療法が組合せられないという悲劇があります。この悪法によって一番守られるのは、患者ではなく本気で患者を治すための研究をしない保険医の利権です。

でも、どこで「違法」と見做すかは、医師会の中でも分かれており、ひとりの同じ医師が両方を同じ建物内で入り口を2つに分けて行うことも今は可能です。厳密に言うなら、一般の保険医がインフルエンザワクチンの接種を行なうことも混合医療なのですが、それは認められています(つまり保険医の利権が守られるならいいわけです)。ただし、保険医と自由診療の医師と別々に診てもらうのは当然ながら患者の自由です。

日頃の体位交換や点滴針を刺すなどの医療行為や看護を保険医が手配する訪問看護師チームに依頼する場合、点滴のビニール針を手の静脈に残したまま「ロックオン」、つまり、チューブの先だけくるくる巻いて、針と一緒にテープで止めておくことは、患者の家族が教えて貰って行うことができます。

そうなると、点滴のために通院するだけの体力が回復していなくても、購入してきて自宅で自分たちがお金を払ったチューブの先に、ビタミンCの点滴溶液を刺すことができます

それができるかどうか尋ねれば「そうしている患者さんもいる」と喜んで協力してくれる医師でも、自分からこの案を話してくれるとは限りません。自分からリスクを取りたくない医師には、患者・家族の側から色々質問しないと情報は入りません。

保険医療しかできない医師を主治医に持ったら、それだけで、命の選択肢が限られてしまいます。保険医は、ビタミンCの投与は1日2グラムまでしか許されておらず、これは、健康な人が最低必要とする量でしかありません壊血病にかからないためには1日50mg程度もいいですが、全身の細胞を健康に保つにはとても足りません)。

父の場合は、実際に効果が出ている高濃度ビタミンC点滴療法で、75gの投与でも血中濃度が飽和状態にならないほど、酸化ストレスによる消耗が激しいということまでわかっていたのに、保険医はそのことを一切考慮しないし、栄養剤というものを根本的に軽視しています。

絶食のために消化器系がマヒしてしまい、帰宅後も飲食が不可能になっていることが判明しても、点滴液に入れられた唯一の栄養剤はブドウ糖でした。これはガン細胞のエサであり、単独で与えるということは殺すようなものです。ビタミンC点滴液を合法的に入手することで頭が一杯だった私は、ブドウ糖に関する情報が不足していました。

また、死の前日にわかったことですが、帰宅した日から、患者が必要とする水分の半分の量しか点滴されていないことがわかりました。ずっと呼吸が苦しそうだった大きな要因のひとつが水分の不足だったのです。医師が問診後に「あと一週間」と言ったときには、それを実現するために点滴液が調整されるということに気づきませんでした。(余命1年とか3か月、6か月などというのも、先輩医師らが何をするか見ながら育った医者たちが、プログラム通りに死なせる方法をとっていると考えたほうがいいです。告知通り当たることが多過ぎるみたいです。)

実際、病院で初めての痙攣発作のあと17時間、モニタのケーブルや点滴のチューブに繋がれてあまり寝返りも打てない状態で放置された後でも、入院4日めの父は、まだ皮膚も強く、褥瘡はどこにもありませんでした。絶食させられるまでは、健康な時以上に経口で栄養補給するように心がけていました。

その後、退院までは2~3時間おきに看護師らが体位交換してくれていたものの、12日後に帰宅したときには、背中の皮膚はひどい褥瘡ができており、エアベッドの上に寝かせるのも痛ましいほどでした。一日のビタミンCの投与が栄養剤の点滴に含まれるたった2グラムでは闘病以前の問題として、皮膚の細胞の強度を維持するためには全く足りていなかったわけです。

ビタミンCが皮膚や骨、血管壁のコラーゲンには必須で、細胞結合を強くすることや、褥瘡を予防・治癒することは、すでに公式に報告されているにも関わらず、今でも予防・治療法として保険適用されず、この重要性を認識する病院は少ないのが現状です。

父の場合は、絶食開始後まもなく、唾液や消化液が出なくなったことにより、本当に飲食ができなくなってしまいました。唾液と一緒にわずかな水分を飲み込ませることも、それができる経験豊富な看護師でなければ不可能になっていました。

消化器の働きがこのような状態でストップしてしまうと、免疫システムが働かなくなっていくので、非常に危険です。人間の体は、それぞれ必要があって複数の役目をこなしている臓器が多いので、飲食をやめたら栄養を点滴で入れればいいというものではありません。でも、それを平気でやるのが「標準医療」だと思っておいたほうがいいです。

とにかく、病院から迅速に連れ出さなかったことが、その後も病院側の横暴を招き、命の明暗を分けることが続きました。



MRSA用の抗生剤投与を打診されたら全力で退院させる
MRSA対策剤に関しては、前記事でも触れました。酸化ストレスを最大にし、急速にガン細胞を増殖させた原因は、この危険な薬物と栄養不足が最大の原因であったと考えています。

MRSAというのは黄色ブドウ球菌といって、1990年ごろには、院内感染の元になる菌として大々的に論文発表されました。当時、医療関係の会社に勤めていた私は英文で読んだことがあるのですが、簡単に感染してしまう恐ろしい病気という印象でした。

が、その割には、MRSAによる院内感染のために患者が重態になったり死亡したというニュースは耳にしないのです。恐ろしい病気が感染したという報告はたとえ僅かでも、製薬メーカーには大きな宣伝材料になるので、日本じゅうで知られていてもおかしくないのに、です。聞くとすれば、末期にMRSA対策剤を打たれていた家族がいる、という話ぐらいです。宿主扱いで本人にはリスクしかないこの危険な抗生剤を打たれていた人の話ばかりなのです。

院内感染を防止するという名目があるにしては、看護師らが如何に他の入院患者への危機感を持っていないかは、見ていてよくわかりました。父が宿主にされてからは、看護師らは入室するときビニールのエプロンや手袋、キャップなどを余分にとりつけ、出るときに室内においた空き箱に捨てていくのですが、それを厳重に隔離することはないのです。

また、私たち家族も、父の取り残された痰をとるための鼻孔や口腔ケアで、指を突っ込んだりすることを知っているのに、共同のトイレは自由に使えるし、戸が開いている向いの部屋に入って椅子をとってきたりなど簡単にできる状態でした。

このMRSAは常在菌で、健康な人でも体内に持っているものなのです。院内感染がそれほど恐ろしいものであれば、入院患者や医療スタッフ全員の唾液などを毎日検査するべきだと思われますが、調べるのはたまたま吸引を受けるようになった患者や、よそから移ってきた患者の痰や血液だけ。最初から誰を犯人扱いするか決めているようなものです。

実際、絶食・点滴生活が始まっても、ベッドの上で体を起こしたり、表情で感情表現できていた父は、MRSA対策剤を打たれるようになった翌日から、覚醒できなくなりました。起きようとはするのですが、2、3秒ごとに気絶してしまうので、体を起こしていることができなくなったのです。

すでに言葉が不自由になっていたので、私たち家族も何がいつ始まったかはっきり認識できていないときでしたが、後から思うと、MRSAの抗生剤を打ち始めた翌朝に、大声で泣いたのが最後の感情表現となりました。

前日まではまだ起きようとして体がなんとか動いていたのに、言葉のかわりに動いていた筋肉の力もすべて奪われていくことがわかったのだと思います。腫瘍による麻痺ではなく、薬を入れられる度に、体の自由がきかなくなっていったわけです。

それだけでなく、40度近い高熱が出るようになり、肩や首から頭にかけて、痛々しいほどしょっちゅう痙攣するようになりました。体が抗生剤の毒と闘っていたと思われます。腫瘍だけならこんな症状は出ないのです。

8時間効果があるといわれるMRSAの抗生剤は、午前9時と午後6時に点滴投与されるので、夜中の1~2時ごろに目覚めて、朝まで苦しさに呻き続けるようになり、吸引を求める回数もまた増えてきました。1週目は付き添っていても、夜には仮眠ぐらいはとることができましたが、2週目はこのために、徹夜覚悟となりました。

病院側でもただでさえ負担が大きい夜勤の看護師らに重労働を押し付けている構図です。

父のことを伝えてある開業医ふたりとも、退院のときにこの措置を知らせたとき、「えっ、MRSAをやられてしまったんですか」という反応でした。「他の患者さんが感染しないようにということでしょうけど、少しは父の体のためになったのならいいですが?」と私が言うと、「それはありません」と完全否定。

医薬関連に勤める知人に話したところ、同様に驚き、MRSA対策剤は、免疫力が落ちている宿主とされた患者には非常に危険な薬であると聞かされました。製薬メーカーも、使用した医療機関も、許認可した国もみんな儲かるような仕組みがあるということです。

患者や家族がもっと賢明になって真実を理解し、このような薬物投与は違法にするべきです。少なくとも、退院という選択肢があるときに、危険な薬物投与を不十分な説明で行なった医師や医療機関は処罰されるべきです。

MRSA対策剤は、その抗生剤を打たれる患者本人に及ぼすリスクは全く考慮されておらず、その危険性も全く説明されません。ただ、看護師らがビニールのエプロンやキャップを付けて、部屋を出るときに室内に用意したゴミ箱に捨てるようになるため、「驚かさない様に」と事前に説明があります。

私の場合、病院での担当医に呼び出され、MRSAが発見されたのでそのための抗生剤を点滴投与したいが、尿に排出してもよいかと許可を求められて意味が解らず、「排出せずに体内にとどめるわけにいきませんよね」などと返しながら、許可のための文書に署名したのです。が、このときの署名文書だけが後日取り寄せたカルテのコピーから漏れていたのです。

事務室に経緯を話し、当時の担当医に確認して欲しいと頼んでおいたところ、「抗生剤を投与するのに許可は必要ないのでそのような文書はない」との回答。百歩譲って署名がなかったとして、これでは、呼び出されて説明を受けたこと自体まで否定されているわけです。それがなければMRSAという言葉さえ知らされていないはずなのですが。

こういったことが行なわれるとすれば、患者と家族は病院側に、どうせ訴訟は起こさないと舐められていると考えたほうがいいです。医療訴訟を起こしかねない患者家族にはそれなりに用心するものですが、どうせ末期だと思って医療機関側にすべてをゆだねているような場合は、人体実験として価値が出ます。

これは、大袈裟な意味ではなく、医療業界に詳しい人なら実際の例を当り前に知っていることです。

実際、我が国では末期患者や犯罪容疑者らは、合法とはいえない方法で、医療ビジネスの実験台になっていることは多々あり、裁判でも問題になっているのですが、死刑囚などの場合は、結審の前に刑を実行してしまうような暴挙も起きているのです。重病で入院するときには、この意味を考えたほうがいいと思います。



入院の前に、他の医療機関の療法を継続させられるか確認する
飽く迄、入院が避けられない場合ですが、例えば栄養療法の点滴などのように他の医療機関で効果がみられたことを継続したい場合、順天堂のように、その継続を受入れる病院はあります


納得できる理由もなく、院長や担当医がそれを拒むのであれば、患者の治癒を第一に考える姿勢に欠けているので、入院はやめたほうが無難です。

父の最初の担当医はあまり融通の利かない真面目な内科医、という印象でしたが、高濃度ビタミンC点滴にこだわる理由を理解してくれたようで、外出許可をとって移動すると患者の負担になるので、先方から点滴液を購入してきて、ここで点滴してはどうか、と2週めの半ばに手配してくれました。

会計が別であれば違法な「混合医療」とみなされない、と判断してくれたからですが、この担当医は翌日、父の担当を外され、若い院長が自ら担当医(院内「主治医」)となることを、私たちを部屋に呼びつけて宣言しました。担当医には「勝手な事をした」ときつく言い渡した、とのことでした。

ビタミンC点滴後、父の顔色はよくなり、初めて吸引を拒否し、痰を自力で全部吐き出し、呼吸が目に見えてスムーズになったのですが、この院長は主治医変更宣言から一度も父の顔さえ見にきませんでした。ただ「現代医学の常識では考えられない」と繰り返すのみ。

この院長は、「通常、点滴は生理食塩水で行うのに、精製水を使うなど非常識」と言うのですが、これは100gのアスコルビン酸を入れたら食塩水では濃度が高すぎるので精製水を使うわけです。調べれば判ることですが、MRSA対策剤の人体実験データ収集時に、余計なことをされたのがよほど気に障ったのでしょう。

院内でのビタミン点滴が許可されないなら、外出許可はすでにとってあるからクリニックへ連れていくと話すと、そんな「常識では考えられないことをするなら外出も許可しない」との暴言。ここに置いていたら殺されると思い、これによってすぐに退院手続を開始しましたが、事務局が開いている時間の申請で、申請翌日にしか出られない、という縛りがありました。

また、病院を紹介した主治医に退院手続を依頼したのですが、担当病院名を記入しないと退院できない規則があるそうで、時間がないため、今から逃げ出そうとしているその病院名を書いてもらうしかありませんでした。「名前を借りるだけだから。実際には退院後に別の病院へ行ってもかまわないから」ということでしたが、なぜ、それほど色々、患者や家族を却って苦しめるような規則でがんじがらめになっているのか理解に苦しみました。結局、自分たちで体験しなければ、医療体制がどれだけ狂っているかわからないわけです。


患者本人の意志が読める人間が意思決定を行う
これは非常に重要なことですが、患者に言語障害が出ている場合、「自分だったらどうしてほしいか」ではなく、患者の性格であれば今なにを訴えているのか、が理解できる者が意志決定を行なわなければ、生涯悔いを残すことになります。

2012年6月20日、父の精密検査のために母と一緒に付き添っていった脳神経外科で、最後に診療室に残されて、医師からの告知を受けたのは私でした。私は家族に隠し事するするという発想自体がないのですが、このとき、医療の現実とその裏側を理解できていない母にそのまま話をしてしまったことを後になって心底後悔することになりました。

脳神経外科の若い医師は、MRIとCTの画像を見せながら、腫瘍の存在場所と影響が出る機能を簡単に説明し、「1年持つかどうかわからないので、ホスピスかがんセンターに行ってもらうしかない」と告げました。こんなことしか言えないのが医者なのかと改めて思いました。

現代医療が匙を投げた多くの難病患者を救っている医師や治療家と違い、患者本人にじっくり問診するようなことはありませんでした。この頃すでに多くの人が代替医療で癌を克服していたはずですが、そういう情報も一切出ませんでした。この医者もそうだったのでしょうが、私の家族・親族は皆、終末期の脳腫瘍が治るなどというのは奇跡でしかないと思い込んでいたし、今もそうです。

私はこの頃まだ、MRI、CT、PETのような画像検診に誤診が多いことは知りませんでしたが、社会人1年目から、医者に余命告知されて代替療法で完治し、その後何年も元気でいる人の話はいくつも読んできていました。

本人がそろそろ死にたいとでも思っていたなら別ですが、健康で長生きするために長年努力して人生を楽しんでいる人間が、しかも、足腰からではなく、言語表現の能力から徐々に奪われていくのは、なんとかしてやりたいと思いました。高濃度ビタミンC点滴のメカニズムで考えれば、脳の腫瘍も後退させられると思いました。つまり進行スピードの時間との勝負だということで。

ガンや脳腫瘍という言葉を使うと、一般人の固定観念である「ガン」、つまり私が知っている治癒可能な病ではないものが伝わってしまうので、それを避けるために、脳がどのようにまだらに損傷を受けているかを説明し、手術しにくいことを伝えました。

そして、リポスフェリック・ビタミンCを購入し、それを飲ませるようになったときに、父に本気で病気と闘う気があるかと尋ねました。お父さんがもういい、と思うなら無理しなくてもいいけど、と添えて。父は穏やかに「そら、(病気と闘う意志は)ある」と幼児のような眼差しで答えました。この時は、足のふらつきもまだ軽く、右手の麻痺も起こっていませんでしたが、既に日記や手帳への記入ができなくなっていたことを後で知りました。ラジオ体操と趣味の畑仕事は継続していました。

(余談ですが、トイレ起きの時にビタミンC入りジュースを飲ませたあとの起床時は、頭がすっきりしているらしく、(ラジオ体操に)「よし、行ける」と呟いて立ち上がっていました。VC分子(C6H8O6)は血管脳関門をすぐ通過できるので、腫瘍に直接働きかけていたと思います。)

父の、この病気を克服する意志は、酸素マスクをつけるようになっても、病院で点滴チューブに繋がれても消えませんでした。MRSA対策剤で覚醒不可能にされてしまうまで、起きている間は何度も、自分の足腰を使ってベッドの上に座るリハビリをやろうとしました。

父は常々100まで元気に生きるというのを本気で目標としているようなところがあり、まわりもそれは無茶だとは思っていませんでした。

高濃度ビタミンC点滴療法だけでなく、温熱療法、免疫療法、刺絡療法など、実際に一般の医者に匙を投げられた患者を数多く救っている医師や治療家たちが、予防や再発予防として勧める健康法を父は、本能として実践していました。


規則正しい生活、適度な運動、自分で作った有機野菜を中心とした食事、腹八分目、風邪をひいても薬に頼らず食事や休養だけで治す習慣、心身共にストレスを溜めない生活。そして、晩年になるほど増々生きることを楽しんでいました。(享年78歳でしたが、身体年齢は常に10歳以上若く、皺はほとんどありませんでした。)

つまり、たとえもう一度言葉を喋らせることだけが目標でも、一旦、救うことができていたとしたら、その後は何を気をつけて再発を防ぐかはかなりはっきりしていたのです。

現代医学の医者や薬には近づけない。内部被ばくに備えて、ビタミンCを中心とした抗酸化物質をそれまでより多めに摂らせる。これだけです。

これは、父の闘病が始まってから、「まだ生きたい」と強く願う父のために、私ができるだけ実践しようとしていたことであり、お医者様信者で運命論者である家族、特に母は「早く楽にしてやりたい」と思うあまり、必死で抵抗したことでした。

捕虜収容所のような病院から父を退院させる手配は、介護タクシーやビタミンC点滴予約、訪問看護師との契約を含め私が行ないましたが、たった12日の絶食強要・点滴中に車いすでの通院が困難なほど衰弱させられていたためVC点滴は継続できませんでした。

帰宅後は、ビタミンC点滴液を買ってくればいいと気づいて実行に移せた日まで、5日間もの間、保険医が処方した抗生剤と、ブドウ糖だけを入れた1日たった1リットルの水というお粗末な点滴に甘んじることになりました。

飲食が可能であれば栄養素のリサイクルもできますが、これではたとえ100グラムのビタミンCでもあっと言う間に消耗します。点滴後2日めに自力の咳き込みで痰を吐ききったときにも、相当エネルギーを使ってしまっています。

絶食とこんな馬鹿げた点滴を並行すれば、今健康な人間であっても6日めには意識がおかしくなるほど衰弱していても不思議はありません。

死の前日に往診に来たこの主治医に、父の口内の出血のことを話すと「もうどこもそうなってくるでしょう」とわかったように言っていましたが、つまりは、これまでの患者も同じ点滴で告知ドンピシャとなるように死なせてきたということです。いまや世界中で非常に多くの難病患者を救っているビタミンCについて何の知識もなく、好奇心も持たない医者というのは、こういう医学しか学んできていないわけです。

この開業医が1年以上処方し続けた「中性脂肪の薬」のために発症した可能性も大きいのです。少なくとも、からだに負担にはなっても、なんの解決にもならない薬物でした。全く生活に不便を訴えていない健康な人間に薬を飲ませていたわけです。

本人が壊血病で衰弱死するような点滴を望んだなら別ですが、これでは殺人です。そして、患者本人の意志が読めない家族は協力者です。

父の体に起こっていたことは、ガンで弱ったからではなく、無茶な医療によって、腫瘍は脳幹で不要に拡大する一方、正常細胞は最低限必要なビタミンCも失って、皮膚も、血管壁も、内臓もボロボロにされていたのです。

ビタミンC点滴以外の手段を使わずにガン患者を何人も看取った経験のある水上治医師は、腫瘍の麻痺だけであれば如何に最後が安らかであるかを綴っています。救えなかった患者の家族に何度かお礼を言われているほどです。最後に家族が意志疎通する場が持てるのです。

喋れなくなっても、聴力や理解力は死の瞬間まで衰えないといわれます。

死の前日まで、父にはそれが判る反応がいくつもありました。誰が見舞いに来てくれるかを知らせると確実に反応していました。

そんな状態で、一度も喋る能力を取り戻すこともできず体が壊されていくのがどれほど辛かったか、私以外は誰も感じていませんでした。今でもみんなで安らかに逝ったと信じようとしているのです。医薬利権が巧みな広報で洗脳してきたとおりの行動です。「すべてを医者に委ねたから自分たちに落ち度はなかった」と思うことがどれほど重要なのか思い知りました。

MRSA対策剤の点滴を開始されてしまった翌日の最後の感情表現がわずかな覚醒の間に泣きじゃくることでした。自宅に戻ったあとも、不勉強な医者のために壊血病にされ、泣く力もないまま地獄の1週間になりました。視力も失っていたと思います。庭が見える場所にベッドを置いていたのに全く反応しませんでした。

もう一度会話するはずでした。MRSA対策剤を打たれるまでは、表情や発声で意志疎通ができていました。

父はきょう、79歳になるはずでした。

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